言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

ロックバンドが生きている、聴け【SULLIVAN's FUN CLUB「DESTRUCTION」】

 

最高、生きててよかった。

 

と思える音楽を叩き付けてくる、ロックバンド、SULLIVAN’s FUN CLUBが大好きだから、お前にも聴いてほしい。

 

性懲りもなく、俺は今日も大好きな音楽について書く!

 

当記事はSULLIVAN's FUN CLUB5th degital single「DESTRUCTION」についての感想文である。

 

ただひたすらに感想文である!!!!

別にそれがどうでもいい人は、曲だけ聴いて帰ってほしい!!聴け!帰れ!

 

 

 

SULLIVAN's FUN CLUB「DESTRUCTION」

 

youtu.be

 

 

タイトルを見、その意味が、Destruction=「破壊」であると気づいた瞬間、僕は電車の中で軽くのけぞってしまった。

 

 

高校の頃の先輩に会いに行くため、海の見える町に行き、夜を徹して勉強したり遊んだりして、朝の6時のしんとした空気と海を見て、それから気づいたら午後2時の電車に乗っていた。電車に乗り込んで、それからゆっくりYouTubeのこの動画を再生した。

 

 

徹夜明けのぼやける頭と機能不全の鼓膜を震わせる、稲妻のような

 

「ハロー まだ 聴こえるか?」

 

の歌声が完全に脳味噌を覚醒させた。

 

サビではこの「ハロー まだ 聴こえるか?」という歌詞が繰り返される。なんだかトランシーバーで遠い場所にいる誰かと連絡をとっているかのようだ。しかしその誰かとは一体だれなのか。

そもそも何が「聴こえる」かどうかを問うているのか。

 

 

 

楽曲というのは聴く人の数だけそこに解釈が存在するものだと思うので、別にこれはただの妄想なんだけど、なんとなくこれ、「自分自身」「かつて歌っていた歌」が聴こえるか、を問うてるのかもしれないな、と感じた。勝手に。

 

 

僕のSULLIVAN's FUN CLUBの最高にカッコいいと思う点の一つが「初期衝動」を常にどっかにともし続けてることだ。

 

それは変わらないってことじゃなくて、原点みたいなものが、一貫しているものが、常に芯としてアチアチに存在してるってこと。だから俺は安心してゲロ吐きそうになるほどサリバンの曲聴きながら走りだしたりできるのだ。

 

ゲロ吐きそうになるまで走りたくなるバンド、そしてそれくらいの熱量を帯びたロックバンド、俺はサリバンが大好きなのだ。

 

 

 

日が昇る 日が沈む

今日もまた 歳をとる

擦り切れた感情に お前が針を落としてくれよ

 

 

歳をとるごとに時間が経つのが早く感じる理由の一つって、刺激がなくなって、感情とかに動きがなくなる、日々の繰り返しで行動が早く感じてしまうかららしい。

 

その中でも、かつて得た「初期衝動のロックンロール」が「まだ聴こえるか」と自問自答しているような、そんな決意的ななにかを勝手に感じている。

 

 

でも結構大事だよね、初期衝動って。

フツーにのほほんと生きていると忘れがちになるけど、自分の中に一本、いや一本でなくても、複雑に絡み合っていても、言語化できなくてもいいんだけど、とにかく得体のしれない「初期衝動」という名前の高エネルギー体を持っていたい。

 

 

 

しかし、この「DESTRUCTION」は、タイトルからそうである通り、初期衝動の焼き直しとかでは絶対にないと思う。

 

 

実は、SULLIVAN's FUN CLUBは、今回のシングル前後で、ベースがヤダニイナさんから、ハセガワペイさんに変わっている。

つまり、新生SULLIVAN's FUN CLUBである。

 

 

 

このことが詞・曲を担当する敬愛なるヨシダレオさんの作詞になにか変革?変容?をもたらすか、劇的な方針転換とかあるのか、とか結構ツルハで会計待ちしてるときとかに考えてたんだけど、

結局SULLIVAN's FUN CLUBはずっとSULLIVAN's FUN CLUBなのである。

 

サリバンは常に変わり続けるし、変わり続けつつもそこに渦の中心が在るのだ。

 

 

 

つまるところ何が言いたいかというと、

SULLIVAN's FUN CLUBはこの曲でも俺を、お前を、DESTRUCTURE(破壊)してくれるってことである。

 

 

 

「今から全部壊してみようかな」

 

衝動的にこう歌うかたわら、

 

「春の花のように やさしくなればいい」

「やさしくなれるように 強く生きればいい」

 

とも歌う。

 

やさしさとは何だろう。

むずい。

 

サリバンのロックは別に俺らを救おうとしちゃいない。何時も熱くてするどいのである。でも、やさしくて、どこか繊細な感情で、切なくて、暗くて、陰鬱なのだ。

 

 

だからこれはもはや宗教なのかもしれない。ヨシダレオさんの歌声、ヨシダカズマさんのギター、ハセガワペイさんのベース、タダカズキさんのドラムが、俺みたいに、いやもっと深く、誰かの人生を捻じ曲げてしまうかもしれない。

 

特にラスサビ前の間奏とか、(素人耳にも)凄い。

粗削りのようなメロディがとんがって刺さってくる。ペイさんのベースも最高だ。カズキさんのドラムとリズムを刻み、俺の心臓を動かしていく。

 

 

 

 

 

・・・・言いたいこと、言えたかな。

 

言語化不能な感情があるからこそ、音楽が誕生して生きながらえてると俺はつくづく思う。だってすべてを言語化しうるなら、文章ですべてのことが表現できてしまうから。

 

 

 

だからこそ音楽についての感想文って挑戦である。もとが無理難題。

 

うん、つまり聴いて!ってこと。

いっぱい聴いて、俺と一緒にどうにかこうにか無理な感情を言語化しよう。

 

 

そしてそれ以前に、SULLIVAN's FUN CLUBはそんな形のない最悪とか最高とかそれすら定量化不可能な感情を、全部ボコボコにしてくれる、最強のロックバンドなのだ。

 

 

 

 

 

感想文おしまい。読んでくれてありがとう。

SULLIVAN's FUN CLUB - DESTRUCTION(MV) - YouTube

 

 

 

 

なんで今まで聴いてなかったんだ【#23 THEラブ人間「幸せのゴミ箱」】

 

 

youtu.be

 

朝から聴くには最高すぎる曲じゃないですか。泣いちゃいそう。

 

THEとつくバンドに外れがないんじゃないか?と最近妙な定理が成立しはじめてきた。
思いつく限りだいたいそうだ。

 

徹夜明けの朝五時のコンビニとか、すき家の店内で聴きたい。泣きはらした後に聴きたい。

そしてよくよく考えると、今までTHEラブ人間を俺は聴いたことがなかったかもしれない。いやいや、名前は何度も聞いたことがあったし、たぶん俺は大好きなんだろうと思ってたけど、何故か意味もなく聴いてなかったかもしれない。なんで?

そういう物ってある、なんでいままで素通りしていたんだ、といったようなもの。でも素通りするにはあまりにもかっこよすぎるロックンロールじゃないか? どうしていとも簡単に素通りすることができたんだ?

 

 

しかしだな、そう後悔する反面、ぼくはわりと部分的に運命論的なものを信じている節があって、森信三の「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないうちに。」という言葉をわりと鵜呑みにするみたいに自分の考え方として使っているのだ。

でそれは小説とか音楽とかにも言えることだと思っている。「なんで素通りしていたんだ」ではなくて逆に、「今だからこそ出くわした」のかもしれないと思うのだ。

 

 

だから今知れてよかった。きっとこれからおかしくなるくらいハマってくかもしれない。

 

 

ジュースの歴史を急に調べた。ペットボトルが急にキモイ。#22

 

ジュースって、美味しいですよね。

 

一生飲んでいても飽きない。というか19年間生きてきて、たぶんだけど、乳幼児期を覗いて一回もジュースを飲まなかった年が存在しないかもしれない。

 

ジュースってなんであんなに美味しいんだろう。というかそもそもジュースという概念はいつからあるんだろう。

 

急に気になってしまった。気になったからにはすぐに調べよう。きっとお受験する小中学生とかは、家に国語辞典をはじめとする各種図鑑や百科事典があって、すぐに、そしてあくまでも自力で知識を掴むことができるようになっているんだと思う。そう、俺も今からお受験をするためにはすぐ調べるというクセをつけておかなければいけないのだ。

 

調べた。出てきた。以下ブログは次のpdfの解像度ボヤボヤのコピペみたいなものなので、リンク先を読むといいと思う。

http://www.j-sda.or.jp/kids/data/pdf/rekishi1.pdf

 

 

さて感心したことをちょこちょこ掻い摘んで書いていく。俺は最強の大学生。ウルトラコピペマシーン。俺は自動執筆AIができたとき、俺は「俺の次にコピペが上手いものができた」と後世に言い残したのだ。

 

最古の清涼飲料水は、アダムとイブの時代にできた果汁と水を混ぜたもの、というやや神話的な説があるらしい。なっちゃんの遠縁は聖書の飲み物なのか、なっさんじゃん。

しかしここで出てくる果汁、皆さんなんのフルーツを想像しました?

ブドウじゃないですか? なんか聖書に出てくるフルーツとは?って言われたら、ぶどうか、もしかするとリンゴくらいしか出てきませんよね。

絶対この二択じゃないですか?グァバとか言ってる奴は逆張り。アドレス帳から名前を消します。

 

そして我々現代人が最も愛飲している種のジュース、炭酸飲料・・・のもととなる炭酸水が登場したのが1770年頃。酸素を発見した科学者、ジョゼフ・プリーストリーが炭酸ガスを安定的に、水に飽和させることに成功したのである。

彼の活躍したころ、「酸素は存在せず、物を燃やすための元素、フロギストン(燃素)」が存在するとの説が有力であり、酸素を発見したと主張するジョゼフちゃんは科学界から孤立してしまったそうだ。かわいそう。でも炭酸水をつくりやすくしてくれてありがとう。

 

 

でその三十年後くらいに、果汁入りの炭酸水が発明されて、1928年にはトマトジュースが誕生・・・という流れ。

日本にコーラが到来したのが1949年。嬉しいね。まだ百年も経ってないんだね。

そして1982年、食品衛生法改正によってはじめてペットボトルが清涼飲料水用の製品化が行われた。だからそれまでは全部缶飲料だったと考えると、なんだかペットボトルが急に新参者のキモイ容器に見えてきた。なんだペタロイド形状って、その言葉、マジでクイズ番組以外で聞かねえからな、イキんな。

 

 

という歴史らしい。

 

いろいろ調べると、いわゆる清涼飲料水の日本における歴史のスタートは、黒船来航のペリーだったというわけであった。ラムネが初のジュースと定義してもいいのかもしれない。

 

あとこんな記事を書いていると猛烈に喉が渇いた。

おなかも空いた。

死が急速に近づいてるの?

 

Priestley.jpg「そうだよ、君は死ぬんだ」

 

ジョゼフ・・・

 

Priestley.jpg「こっちにおいで・・・」

 

 

 

ジョゼフ・・・・・・・・

 

ありがとう・・・・・・・・・

 

 

さようなら・・・・

 

 

 

THE BOYS&GIRLSワンマンライブ「GO PLANT, GO TBG」に行った

 

 

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THE BOYS&GIRLSのワンマンライブ「GO PLANT, GO TBG.」に行った。

 

昨日ライブを発見して、昨日チケットを取った。e+会員登録中に一度売り切れてしまったのだけれど、粘って粘って空いた一枚を捥ぎ取れた。

 

ラストの整理番号70番、つまり全員で70人。スカスカだけどギュウギュウの、スカギュウ(シンゴさんがMCで言っていた新語)のPLANTでのライブだった。

 

 

 

さてどこから書いたものか。

折角ライブに行ったんだから今の限りなく生に近い感情をなんとか文字に起こしておこうと思うのだけれど、まあ難しい。こういうときは時系列順にとにかく気の赴くままに書いていけばいいと経験的に少しずつ分かってきた気がするので、とりあえず書いていこう。

 

 

 

 

 

ライブハウスとして/カレー屋としてPLANT が最高

昼、PLANTで三種あいがけカレー(1400yen)を食べた。ボディーブローのように長時間後味が効いてきて、今まさに、めちゃくちゃ食いたくなっている。おススメはアニスのブラックポークカレー(こんな名前だったっけ?)。八角と五香粉がスパイスとして使われていて、今まで食ってきたカレーというものの概念を揺さぶられた感じ。

PAYPAY払いもできて、今ならかなりの額還元されるからオトクだよ。

 

でPLANTというハコ、立地が最強に良い。札幌民にしか伝わらない話をこれからします。

 

 

 

北24条バスターミナルから徒歩1分!!51m!!

しかも真横にローソン!松屋ミスタードーナツ!温野菜! ライブ前後に腹ごしらえできる。余韻の中で、なんだか激エモな会話もできるでしょ!

 

僕は12時頃にPLANTの激うまカレー(写真ナシ)を食ったあと四時間ほど、ずっとお隣のミスタードーナツに籠っていました。

 

 

 

 

コロナウイルス下でのライブハウスというものについて

 

受験期を抜けたと思ったら、途端始まったコロナのパンデミック。糾弾されまくるライブハウスをニュースで見るたびに、腹立たしいような気持になっていた。ライブはずっと画面の向こうで、音楽はヘッドホンとイヤホンが歌っていた。

 

でも誰のせいでもない。

ライブ中もシンゴさんが言っていた。

「CDの発売が四月から七月に延びてしまったんですけど…………おかしいな、別に、誰かから延ばせって言われたわけでもないしな……うん、俺が延ばしました」

 

そう、感染症は事実としてそこに存在する。死者まで出ている。だからこそどうやって行くか、どう生きていくか、といういわゆるウィズコロナ(なんかわからないけどこの言葉はそんなに好きじゃない)の時代なのである。

 

ライブハウス、ときくとコロナウイルスの巣窟のように思われるかもしれないが、今日のPLANTでの感染症対策はばっちりだった。

・入店時消毒・検温は確実に行っていたし

・チケットのもぎりまで各自で行い、釣銭渡しもトレイで行っていた

・ライブ会場にはソーシャルディスタンスが保たれるようにバミリがしてあったし

・ライブ中の歓声もご法度で、レスポンスは掲げたこぶしだった

 

とまあ、「絶対にクラスターなんぞになってたまるか」「コロナなぞ出してたまるか」といったような鉄のような決意を感じた。

 

実際、民度も最高だった。勝手にバミリを離れてモッシュしたり、ステージに駆け寄ったり、マスクを外して叫んだりする人もいなかった。やっぱりライブハウスってみんなで作るものだなと実感した。

 

というわけでチャンとやる、ちゃんとやれば、ライブハウスは生音を聴ける最高のハコである。大声出せないの寂しいけどね!

 

 

 

GO PLANT, GO TBG. !!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ライブの中身のお話。

 

ボイガルは、本当に圧倒的な熱量だった。札幌は今日、PLANTのあの会場だけほとんど初夏だった。

 

セットリストは覚えていません!各自で念写してください!

 

 

「心で叫べよ!!」と汗だくでシンゴさんが僕らに向かってマイクを向けていた。その姿が克明に瞼の裏に刻まれている。シンゴさんが声を枯らして僕らの分まで叫んでくれている。だから安心して僕らは拳で応えられるのだ。

 

身体が動かされる。身体を動かすと楽しい、という能動的な感じではなく、もはや動かされるという表現のほうがしっくりくるのである。

ボーッとする余地はない。足がぶるぶるするし、衝撃波みたいなものでフッ飛ばされてしまう。スピーカーからの爆音だけでなくて、絶対何か衝撃波みたいなものが僕を震わせていた。

 

だからと言ってコワいコワい、みたいな感じではなくて、雰囲気はやわらかかった。

MCが面白い。なんか適当なことを言っていた気がするけど。だからもう一回行きたくなる。

 

 

ミスターラッキーオールドで泣きそうになった。というか泣いていたと思う。

一炊の夢は完全に泣いた。受験期になんどもなんども繰り返し聞いていた曲だったから、その頃がぶわーっと出てきてしまった。「歌うこと あきらめない」と歌うシンゴさんの歌声が鬱々としたコンクリの厚い壁にハンマーを打ち付ける。

 

ロックバンドのギターとベース、ドラムが僕の心臓を動かしているのかもしれない。音楽を聴いていないときは、最後に聴いたギター、ベース、ドラムの振動の残りで生きているのかもしれない。

 

そんなことなくて、他にもいろいろあって俺は生きていると知りつつも、本当にそう思えてしまいそうなくらい、自分の”核”の方に強いインパクトを与えられた。

 

コロナウイルスがどうのこうのってあっても、まだここにロックンロールは生きているんだなと思った。それが幸せなことだった。コロナ禍において、好きだったバンドのいくつかが解散してしまった。

 

 

とにもかくにも、良いライブだった。ずっとずっとロックンロールは続いてってくれ。

 

 

見ないうちに死んでいく【#20 Creepy Nuts「かいこ」】

 

実家はいつからか、帰る場所だったのが向かう場所になっていた。

 

 

昔アルバイトしていたセブンイレブンにライブのチケットの料金を払いに行くと、当然のことながら全く知らない人たちがシフトに入っていた。

 

勤めていた時、土日の12時から17時は僕のシフトだった。この時間は近所の子供とか主婦とか大学生くらいの人が来るだけで、そんなに忙しくない時間帯だったっけ。

 

そんなに客足が途切れるわけではなかったけど、たまに来るあまりにも暇なときは、レシートの裏に数学の受験勉強をしたり、彼女に送るプレゼントと給料の計算をしたりしていた。

 

店内BGMは本当にパっとしない謎のループ音だった。店内放送も無く、ロックバンドの歌声もなく、本当にパっとしない、出所不明の謎のループだった。あれ、Day Dream Blieverだったっけ?あれ?

 

 

知らない家が建っていたり、知らない店ができていた。高一の頃にできた空きテナントにカレー屋ができていた。コロナ禍で潰れた運河亭はたぶん未だに潰れているだろう。

 

小中学生の同級生の中には高卒ですでに就職したひとたちも多くいると聞く。

バイト禁止の高校を終えて、近所のコンビニや書店でバイトする元・友達がたくさんいたと母からきいた。

 

僕がこの愛すべき札幌の端っこの愛すべき辺鄙な町を離れて、東北で一人くらし、もがいたり死んだように寝起きしたりそれでも前向いてみたり鬱々としてみたりしていた間も、札幌でも同じように時は流れていたんだな、当たり前のことに今更気づいた。

 

それがなんとなく寂しく感じる。

 

 

母がたの祖母は祖父が他界してから北海道の片田舎で独り暮らしている。この前電話したとき、駅前の寂しかった商店街が、コロナ禍のせいで、より一層鈍色に染まっていったことを伝えてくれた。

 

そんな風にきっと僕の知らないところで急速に色を失っているものが、この世の中に数えきれないほどあるんだと思うと、やっぱり寂寥感をひしひしと感じてしまう。

 

 

年末にいつもテレビでやっている「戦力外通告を受けた野球選手のその後のドキュメンタリー」、これを見ると気持ちが寂しくなる。

一発屋芸人チーム、に出てこない一発屋のことを考えると気持ちが寂しくなる。

 

小学生のころ有名だったYouTuber、ニコニコ動画の再生数ランキング、更新の止まったウェブサイト、解散したバンドのTwitterアカウント。

 

 

別に俺が回顧したところでどうなるってわけじゃないけどね。

 

 

 

youtu.be

最近、歌ってみたをCoverと書いてる【#19 めいちゃん「パンダヒーロー」】

 

明るい音楽を聴けない精神状態の日ってあるよね。

 

元気で、エネルギーに満ち満ちているような日は、むしろそんな明るい音楽が自分に羽を授けて、もっともっと飛翔するための活性剤になるのに、じとじとして溜息すら出ないような日には、明るい音楽を懐疑的に見たり、斜に構えて重箱の隅をつつくように批判したりするの、なんなんだろうね。

 

 

ライブに行けなくなってから、音楽を聴く方法は圧倒的にイヤホンになった。

脳味噌に直接つながる器官に、最短距離で音楽をぶち込んでいる。これはもはや音楽の静脈注射といっても過言でない。

音楽という刺激的な化学物質を、脳味噌に直で延々と注入しているのである。

 

脳味噌のほうが鬱々としているときに、躁的な音楽を静脈注射で流し込むと、磁石のS・Nが反発しあうようにして、「ああ畜生!」と道行く老婆にでも空飛ぶカラスにでもおもきし中指を立てたくなるのである。

 

 

だから僕は、端末のプレイリストに「どっちでもいいからブッ飛べる」曲を主観による選定でまとめている。

 

お前の感情なんか、知ったこっちゃね~、という破壊的な、あるいは、いいからあたしの曲を聴きなさい、というある種押しつけがましい、そんな曲群があるのだ。

 

 

youtu.be

 

パンダヒーローはまさにそんな曲である。

 

パッパッパラパッパパラパ

ラッパの音のような歌詞が、自分の脳の中の汚れたコンクリの壁を巨大な金属バットで破壊していく。

 

とくにこのめいちゃんverがいい。イントロの裏拍?が最高に良い。原曲は耳が腐るほど聴いたから、このアレンジは今新鮮な状態で鼓膜にぶっ刺さる。

 

歌い方もいい。歌ってみた文化って本当にいい。最近じゃ「歌ってみた」じゃなくて「cover」と多くは書くようになったらしいけど、本質的に「歌ってみた」は「歌ってみた」だと思う。

自由なんだよね、Coverっていうより、歌ってみた、っていう気軽なくらいの方が、なんかいいよね。

VOCALOIDって、いわゆる普通の歌手が歌う曲と違って、まあ詰まるところコンピュータの音声なわけで、でもだからこそそれを人の声で再録しようと思ったとき、解釈の裾が広がってる感じがする。

だから普通のCover、よりも歌ってみたの自由性が好き。

 

 

早口で言ってそう。

 

 

気に食わないことがあったとき、意味もなく明るい曲が聴けなくなってるとき、とりあえずパッパッパラパッパパラパしようぜ。

 

 

一億総ダルさ社会【#18 a flood of circle「青く塗れ」】

 

頭が痛かったり、全身がだるかったりする日って、どうやって乗り越えればいいんだろう。

 

しんどかったら横になって、横になっている間は極楽なんだけど、ひとたび起き上がろうとする意志を見せた瞬間また急激にダルさが襲ってくる。

その高い高いハードルを乗り越えてえっちらおっちら起き上がったとて、作業を始めるとまた鈍いだるさが暗雲のように立ち込める。

 

詰んでない?

 

現代を生きる人間にとっての最強の敵って、同じ人間か、もしくはダルさという概念なんじゃないのかと思う。

 

 

この現代社会はもはやダルさ社会である。

 

料理作るのダルい→コンビニエンスストア・冷食・UberEats

 

歩くのダルい→各種公共交通機関・タクシー

 

眠いしダルい→エナジードリンク・栄養剤

 

この世に溢れる商品・サービスのほとんどはダルさの解消を下地に存在している。

 

 

絶望した!こんなダルい世界に絶望した!

糸色望ばりに嘆いてみたところで状況は毛ほども好転しない。

 

 

というわけで今日も音楽を聴いて死なない程度に生きていくのだ。

 

 

youtu.be

 

a flood of circle 、いいですよね。

 

俺の中のうっぷんの破壊の象徴と化し始めてる。