ある昼休み、購買で買ったたまごサンドを頬張るぼくのことをじいっとみて、畑中が言った。
「おまえ、コーヒーって知っているか?」
ぼくは一瞬畑中が何を言っているのかわからなかった。というか、言葉の全貌を理解していたとしても、結局ぼくが畑中の正気を疑わないことはなかっただろう。
「ごめん、もう一回言ってくれないか。」
ぼくは畑中に訊き返す。畑中は急に声を潜めて、ぼくに耳を寄せるように手招きした。
「ここだけの話、だ。」
ごくり、と生唾を飲む音が聞こえた。畑中は冷や汗を垂らして、一段と小さな声でぼくに囁いた。
「コーヒーの豆って、いうのがあってな」
「ああ。」
「んで、そのコーヒーの豆を火で、焦がすんだ。」
「焦がす?焦がしてどうするんだ。」
「しっ、落ち着け。」
「いや、落ち着いてるけどさ」
畑中は眼が血走り、なにやら焦燥にでも駆られているかのような顔をしていた。
「焦がして、磨り潰すんだ。」
「?」
ぼくは努めてその「コーヒー」なるものの全容の理解に徹しようとしたが、どうにも腑に落ちない。
「焦がして磨り潰して、一体なににするんだよ」
「そう、そこがミソなんだ」
「おう」
「アツアツの、白湯で、濾過するんだ。」
「はあ…」
ぼくは製法を聞いても、一体どうして豆のこし汁みたいなものをつくるのか、理由に対して納得ができなかった。
「で、それをお前はいったいどうするんだ」
「のむんだよ」
「飲むのか?」
正気か?
一度焦がした豆汁なんて、苦いに決まっている。バカじゃないのか?
正気を疑うようなぼくの目を見て、畑中は手をひらひらと振った。
「だから、おまえはいつまで経っても子どものままなんだ。お前が2組の佐竹に振られた理由、知ってるぞ、『子どもみたいで、恋愛対象としては…」
「悪かった、悪かった、お前のコーヒーとやらへの愛は十二分に伝わった。だから、思う存分飲め、飲めばいい」
「いいか、俺は別に、別に、別に『大人な俺カッコいい』って飲んでるわけじゃないから、な、な、な。」
畑中は何度も念押しをしてきた。
「じゃ、じゃあ飲むぞ」
畑中はなにやらペットボトルを取り出した。そこには「ICE COFFEE」と書いてある。きっとこれがコーヒーなんだろうなと思った。
しかしそのコーヒー御大、ゾウのウンコみたいな、廃油みたいな、泥の煮汁みたいな見た目をしている。まるで、本当に”そう”なんじゃないかと思わせる迫力もあった。
畑中も同じことを考えたのかも知れないが、なにやら顔を少ししかめた。そして、横にぼくが構えていることを思い出したのか、急になんでもないような顔を取り繕う。
「じゃ、じゃあ飲むぞ」
ごくり、ごくり、ごくり。
げっそりした顔を必死に引き締めようとしながら、畑中は言った。
「ほら、美味しい。大人の、味だ。」
それから数年経って、ぼくも県内の大学に進学した。コーヒーというものはそんなにスキじゃなくて、ぼくは相変わらずたまごサンドを頬張りながらキャッチャー・イン・ザ・ライの翻訳課題にせっせと勤しむような、そんな男でいた。
ある日同窓会の報せが、当時の委員長からメールで送られてきた。場所は実家から二駅くらいの繁華街の居酒屋だった。
ぼくはお酒も嫌いだった。飲んだことはないのだけれど、「ジュースの顔をした毒薬」みたいなあの雰囲気が、そしてその違和感を押し殺して飲酒に励行せんとする風潮も、どうにもいけ好かなかったのだ。
某日、ぼくはしっかり集合時間の一時間前に居酒屋の周辺に到着していた。
やることもなく、ただ暇でそこらのコンビ二や、小さな書店を徘徊していた。
ついに行く場所もなくなって、退屈で、道端のベンチに腰掛けた。
「おい、おまえ、タバコって知っているか。」
聞き覚えのある、声がした。