かのアインシュタインはこんな言葉を残している。
「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことである」
その言葉を初めて聞いたとき、大いに感銘を受けた。
すなわち常識は各人に委ねられたものである。
うわ、頭良さそう。ここまで書き上げるのにのべ10分を要した。何故ならVtuberの生配信にコメント残してたからである。叶くんがんばれ。
ではお決まりの挨拶からいきますよ?
みなさん、久しぶりですが失念してはないですか?
それでは、大きく息を吸い込んで――――
\ 轢きころ~す!!! /
はい、どうもありがとうございます。
存在しない挨拶botことヨタです。ご無沙汰してます。
先日も庭に生えてるリュウゼツランでテキーラつくったら造酒法ひっかかって留置所暮らししてました。看守の右耳から左耳にひもQ通してたら懲罰房送りにされました。あとはライブ会場でモッシュの際、俺がベースだといわんばかりに口から「ベンベンベンベン」と重低音を響かせていたところ、周りに人が居なくなり、ひとりでモッシュせざるを得なくなりました。近況報告はこんなもんです。
さっき風呂入ってるときはもっとこう、18という節目の年を締めくくるような素敵なことを言おうと、書こうと一念発起していたのですが、なんだかパソコンの前に座するとそんな気も失せてしまいました。
冒頭で述べたとおり、ぼくはアインシュタインのあの言葉を、初めて聞いたときからずっと胸に克明に刻んでいます。
18までにはせめてこう、精神的にも弱い自分を克己できるようなひとでいようと思ってたのですが、なかなかそうはいかないものです。
割とすぐ怠けるし、口ばかり達者に育って質が伴ってない中国製品みたいな人間に育ったような気もしなくもないのです。
とは言え。
とは言え、
言葉と音楽、そして今読んでいただいてる皆さん含む、たくさんの、本当にたくさんの人に救われながら、なんとかなんとか18年、とんとんとんと偏見を積み重ね続けてなんだかんだ俺を俺として生きてきたつもりです。
さて、ひとまずここまで人生のチュートリアル編が終了いたしました。
モラトリアム真っ只中、センター試験は目前の18。
18禁コーナー入れるようになっても大してうれしいこともなく、ただただ加齢に悩まされる毎日の入り口にたったのみ。
そんな18。くそったれな18。
でもまあ、これまでの偏見がどんなふうに社会を屈折させて映し出すのか知れるなら、少しは楽しみなのかもしれない。
今年もよろしくお願いします。
https://www.youtube.com/watch?v=AOGkdR_unKk
18初めての曲