【楽曲がでてくるまでに1500字くらいあります。なんだそりゃ】
ダメだなあと思う。
評価されているものに唾を吐きたくなるときがある。
人気者をディスりたいし、なにかにつけて自分より優位なものの粗を探したくなる。
かといって、ほかに斜に構えているものがあったらそれはそれで癪に障る。
正論は嫌いだし、とはいえ気休めの正論の否定も大嫌いだ。
そんなときが、ある。
それは自分に自信がないからだ。
という、安直な論理展開をした文を書いている自分の文章も嫌いになるし、この「自分が嫌い」というカテゴリーさえ嫌いになる。
僕は普通でいたくない、というよりむしろ、「僕の普通」を「普通」として受容したい。
「普通のカテゴライズ」から脱したい、その思考自体いたって「普通」で、やっぱりその「普通のカテゴライズ」は嫌いだからだ。
でも、
「『普通のカテゴライズ』から脱したいといういたって『普通』な思考」が、はたして本当に「普通」なのか。
これもわからない。
というか、そもそも「普通」とは何なのか。
解らない。
そもそも前述の姿勢、それが純粋に僕の願望なのか、それさえももうわからない。
小6のころ嫌いだった担任に「普通にやりなさい」と言われた時から、この呪縛は始まった気もする。
図工の時間だった気がする。
僕はそれはそれで一生懸命やったつもりだった。でも僕は人より数段不器用だった。
だから人並みの結果を出せなかったのは当然だし、でもぼくは一生懸命「普通」にやったのだ。
だから困った。怒られるのは嫌だ。咄嗟に
「普通ってなんですか」
と訊いた。
「普通は普通です、常識ってことです」
と答えられた。
人並みにできない自分という存在が恥になった瞬間だった。
みんな、それぞれの基準で知らず知らずのうちに形成された人並みを、知らず知らずのうちに求めているんだと知った。
僕は大多数の人並み、すなわち普通の基準をクリアしていない。
別に、この文章は悲劇の主人公気分で感傷に浸るために書いてるわけでもない。
事実として、「図工の時間」において僕は優劣の基準での「普通」をクリアできなかっただけである。
僕は恥をおぼえた。
けれどできなかったものに対して努力をしなかった。
「普通」という名の「理想」から逃げることにした。
それは楽だった。
生活のすべてにおいて、何もかもにおいて、自分がクリアできない「普通」に直面したら、それを超えようとするのではなくて、「普通をしない」というスタンスでいることを「僕の中の普通」として書き換える。
中二病とかじゃなくて、斜に構えるでもなくて、「逃げ」である。
たったその作業だけで僕は解放されていった。
そして気づいたころには僕の考える「普通」も、周りが求めている「普通」も見失っていた。
けれど、今更また探すことはできない。
「脱・普通のスタンスを普通とした普通」は良くも悪くも僕という存在の根っこだ。
今更「何が普通か」なんて考えたくもない。考えて答えを得て、『普通の理想像』を得て、僕はどうしたらいいかわからない。
これもおそらく「逃げ」である。そういう考え方もできると思う。
そして「普通」の人はこんな文章を書かないのかもしれない。
この文章すら
「普通でない自分、として自分をカテゴライズすることで、文章化しなければ自分の考えを整理することすらできない弱い自分を自己弁護する」
ためのツールなのかもしれない。
もはやわからないことだらけである。こうなるともうだめだ。死のう。
死のう死のう考えたって死にはしない。
そこそこ自分のことを気に入ってるからだ。
音楽聴いて味噌汁飲んで布団に潜れば、なんか明日くらいには忘れることを知ってるからである。
逃げ続けることで得た生存戦略の一つかもしれないと思えば、なんだか自分がいい感じかもしれないと思う。
安い男である。
今日はシジミの味噌汁(インスタント)を飲んで、この曲でも枕元で流しながら数時間眠ろうかなと思う。
ギャグ/星野源
この曲はいまでは国民的スターの星野源が、
数年前過労によるくも膜下出血で倒れる直前に歌声が録音された歌である。
聖☆おにいさんのアニメ映画の主題歌で、本人も声優をやっている。
この曲は星野源さんが闘病の「地獄」に放り込まれる直前の歌ともとれる。
メロディや歌詞のポップさや明るさの中に、星野源さんの感性の繊細さと、彼の哲学が見え隠れする。
ギャグの隙間に 本当のことを 祈るみたいに隠して
この歌詞に潜む、どことない寂しさが、ポップなメロディの中でいちばん翳っている。
光っている、ではなく翳っているのだ。
暗い側面を星野源さんは確かにしっている。
彼自身引きこもりの時代があったくらいだ。
知っている。でも救おうだなんて傲慢なこと思っちゃいなくて、ただ、隙間みたいなところに祈り(みたいなもの)を差し込んでいるんだとおもう。
良い曲だと思う。
なんか寝なきゃいけない夜に限ってこんな2000字以上も文章を書いたりしてしまう。
あ~。
なんかあほらしくなってきた。
結論など出ているではないか、「普通」なんてものは、少なくとも僕にとっては「理想像」に過ぎないんだ。
みなさんも好きに「普通」を信じたらいいと思う。「自分が普通かどうか」なんて誰が「普通」を論じるかによって変わるんだから。
あ~あ。
仮にこれが「普通」の「普通というものの答え」じゃなくてもいい気がしてきた。
というかもう、なんなんだろう。あほらしくなってきた。腹へったし。
いいわ、もう。俺の普通は、「すき焼きはおいしい」とかでさ。
「普通のこと」ができなくなるときたまにあって、そのたび悩んだりするけどさ、まあいいや、というかもういいや。
こんな身勝手な考え方が「普通」の人からしたらどう思われるのか知ったこっちゃないけどさ、もういいや。
腹減ったから、もういいや。
それじゃあ、これからもよろしくお願いします。
彼女へ。僕は勝手に悩んで少々当たって、また勝手に解決しました。ごめんなさい。迷惑かけました。ありがとう。奢るので、ピザもとりましょう、冷麺も食べましょう。今度、何か送るので許してください(肩もみもします、肩たたきも)。
川本君へ。電話でれなくてゴメンナサイ。その時間帯は死に物狂いでレポートやってました。今度何も送りませんが許してください。(さすがに帰省したらお土産くらい持っていきます)
音楽へ。今日も音楽に救われてる感じはする。もしかしたら違うかもだけど。今度何も送らないしお土産も持ってかないけど、また勝手にブログにするので許してください。
おわり