僕という人間は、音楽がなかったらとっくのとうに死んでしまっていてもおかしくないんじゃないかと、ふと思う。
おそらくそんな人がきっと何人もいると、またふと思う。
まえがき
僕の敬愛するロックバンド、SULLIVAN's FUN CLUBが先日、6th single「BOOT」をリリースした。
結論から言うと――――――――
――――――最高である。
ある意味王道、で純粋なロックンロールを爆発させながらも、常に新鮮で、常に強烈。
昨今はびこる難解な歌詞やメロディラインを吹っ飛ばす、サイキョウのロック。
今までのSULLIVAN's FUN CLUBの勢いそのまま、さらに鋭く色鮮やかに、全力で心をボコボコにしてくる。
今回はそんな僕の大好きなバンドと、その新曲をなるべく多くの人に聴いてほしいという気持ちもちょっぴりこめて、毎度のごとく身勝手にただの感想文を書かせてもらう。
(文章量はおそらくラーメン屋のチャーハンくらい。)
時間がある方はどうかお付き合い願いたい!
新しい音楽に出会うのって、決して悪いことじゃないから!
BOOT/SULLIVAN's FUN CLUB
SULLIVAN's FUN CLUB - BOOT(MV)
まずは一聴願いたい!(ゼッテ~聴いて)
イントロ、ヤダニイナさんのベースの音が、鼓膜の奥をノックする。
タダカズキさんの叩くドラムを合図に、すべての楽器がうなる。
僕はサリバンの音楽のここが好きだ。
「ギターが、ベースが、ドラムが歌う、唸る、叫ぶ」のだ。
いつだってこの思いは 今日もあなたに届かないわ
出だしのこのワンフレーズとうたい方にハッとして、惚れ直させられる。
ブログを書くようになって、毎日音楽を意識的にディグるようになったんだけど、ボーカルのヨシダレオさんの声色はやっぱり唯一無二だと感じる。
稲妻のようにびりびりしてるんだけど、やさしく響くこの声。ほかの人では、一切サリバンのボーカルの代わりは務まらないと、確信をもって解る。
どう?初見のキミ、いいじゃんねこの声???(パーソナルスペースを跨いでくる悪いオタク)
この手からこぼれ出る 淡い思い出に夢を見た
泣き出したい 泣き出したい ああいつもそうだ
サリバンの曲はいつも、力強い。
力強いんだけど、儚い。洗練された粗削りな雰囲気を放っている。
日本語がおかしいかもしれないけど、畢竟するにこうなのだ。
「青春」とか、何て言うかオジサン臭い言葉を使うのは不本意だが、サリバンは青春ロックなのかもしれない。
でも、巷間に溢れるひたすらに「希望」を歌う青春ロックと決定的に、サリバンは違う。
「青春」という言葉を表層的に「希望」だとかとらえないで、もっと「等身大」で描いている。
(なんか前のブログでもこんなこと言ったな、はてなブログ公式さんに取り上げられたとき、こんなフレーズ引用してもろた
「御伽噺じゃなくて等身大」
— はてなブログ|思いは言葉に。 (@hatenablog) 2020年3月11日
ロックバンド『SULLIVAN's FUN CLUB』を敬愛しているというヨタ(@yota_2148_)さん。ニューアルバム『Sentimental Young Ones』の全6曲に感想を寄せています。https://t.co/ABcK36FHD9
)
突然泣き出したくなる夜、少しずつ思い出と化していく楽しかったあの日をを、持て余してしまった夜。
そんな夜を越えてきた人間には刺さる音楽だと、僕は思う。勝手に。
あの丘の風見鶏 今夜もギーギーうるせえな
錆び付いた体はいらねー 口笛を吹いてみる
転がってたどり着いた ここに答えなどあるもんか
蹴り飛ばされた一瞬が 続いてくんだろ
この辺のぶっきらぼうさ、挑戦的な態度、これがいい。かっこいい。
僕は、このブログを書くにあたって夜道を歩きながらこの曲を聴いていたんだけど、
信号無視をする車、すれすれを爆速で駆け抜けてく危険なチャリ高校生におもくそ中指立てたくなった。
この熱くて尖がってる感じ、ある種のカタルシスを覚える。
そして、
蹴り飛ばされた一瞬が続いてく
このフレーズ、胸の奥深くに刻み込みたくなる。
転がってたとえ地獄に落ちたって、ともかく転がり続けろ、蹴り飛ばされ続けろ。
そんな風に勝手に解釈する。
揺れて光って消えるのか?
揺れて光って終わるのか?
僕は当然何者でもない、屁理屈ばっかの理系学生。
でも、いつかは、なんとかして光り輝きてえ、何者かでありたい、と、考えてしまう。
このまま消えたかねえ…なんて。
Nothing's over
この火よ 消えないで
A life without excuse!
ヨシダレオさんは最後に迷いなく歌う。心の臓がざわついてしまう。
大学受験で不完全燃焼で、妥協ばかりの自分の人生がいやで、半ば何か、自分の中の何かを棄却しようとしていたちょうどその今、この曲に出会えたことを心から感謝する。
Nothing's over(何も終わっちゃいない)、この火よ、消えないで、と。
この火とはなんだろうか、個々人に解釈は委ねるにしろ、僕は紛れもない「初期衝動」のことだと思った。
この先迷いに迷って、嘘ついて選択してばっかになって、何が本当なのかまったくもってわからなくなっても、初期衝動の火だけは絶やしちゃいけない。
そんな感じで刺さるというか、貫かれてしまった。
SULLIVAN's FUN CLUBは、本当に楽しそうに音楽をする。本当に本当に、音楽を愛しているんだと、痛烈なまでに伝わってくる。
ヤダさんのベース、タダさんのドラム、ヨシダカズマさんのギター、ヨシダレオさんの歌声。
ほんとに、どこを聴いてもサリバンの音楽であるとわかる音がする。
尖ってるようで、俺の傷口から溢れてた見えない血みたいなもんをギュッと止血してくれている。
あと、少し気になったことがある。
今までの「17才」(https://youtu.be/yJFzUB3sZ6U)や
「DOOR」(https://youtu.be/AOGkdR_unKk)などのほとんどの曲では二人称に「きみ」という言い回しをしていたのに対して
この曲では「あなた」と言う。
(あなたが好きだと言えるなら(1st mini album)、MI RA I(3rd mini album)、←(訂正です。何を間違えたんだテメーは、サリバンファン失格だ)ではあなたという表現を使っていた)
僕は高校の登下校中毎日サリバンをあほみたいに聴き続けていたので、なんとなくその変化が耳に残った次第である。
ヨシダレオさんがこの二人称の使い分けを意図して行ってるとすると、一体どんな意味の変化があるんだろう。
3rd mini album「Sentimental Young Ones」に関して、以前どこかのインタビューでヨシダレオさんが
「これがサリバンだといえるアルバム」
と言っていた気がする。
しかし、今回の「BOOT」で、さらに大きな皮をサリバンは脱皮し、またもや大きく化けていっている。
芯は変わらず、変わり続けるロックバンド、SULLIVAN's FUN CLUBに、僕はまた勝手に救われる。
僕という人間は、音楽がなかったらとっくのとうに死んでしまっていてもおかしくないんじゃないかと、ふと思う。
SULLIVAN's FUN CLUBの音楽は僕という人間をなんども「終わっちゃいない」とせっつくのである。
そして、サリバンにせっつかれて起こされた夜が、今日は一層煌めいて思い出される。
泣きたくなって、走り出したくなるピュアな、雷みたいな音楽、それが僕にとってのサリバンだと、「BOOT」で再確認させられた。
読んでくれてありがとう、おしまい。
SULLIVAN's FUN CLUBさんのTwitter
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泣けるわ、ホント。
おしまい