ぼくは有史以来アイドル文化が苦手であった。
そもそもあんまりテレビを見ない生活を送ってきていたからかもしれない。
女優の名前もよく知らないし、アイドルの名前もよく知らなかった。土屋太鳳と有村架純を間違えた過去を持つくらいである。
そんな僕がなぜ日向坂46の楽曲に対しブログを書くのか、disか。
と思われてしまいそうなので言うけれど、disする意図はマジで毛頭無い。
というか、齢18になるまでほとんど関心の無かったアイドルという文化に、ここに立っていま俄然興味が湧いたのである。
彼女が日向坂46のファンであることもあいまって、今まで聞いたことのない音楽について、書いてと言われたので今回筆をとってみる。
と、いうわけで今回は日向坂46の「ドレミソラシド」について、
なぜファがないのか、というのに焦点を当てて感想文を書かせていただく。
ドレミソラシド/日向坂46
ドレミソラシドというタイトルを家族に話した際、なぜファがないのかといわれてしまった。
それは実は、秋元康の複雑な生い立ちに由来していることは、一般にはあまり知られていない。
今回は、そのファがない理由を、秋元康の過去に照らして考えていこう。
秋元康は実はとある大富豪とホステスの妾の子であって、本当は戸籍がなかった。そのため、学校にも行けず、日中はスラム街で靴磨きなどをして日銭を稼いでいた。
そんななかで、スラム街で声をからして音楽を奏でる男たちの姿を目にする。
「・・・これが・・・音楽・・・!!」
その日から秋元少年は、音楽に魅入られる。
しかし義務教育もまともに受けられない秋元少年、音楽に関する知識も全く得られないでいた。
しかし、秋元少年には「言葉」があったのだ。ホステスの母から聞く多様な恋愛観。自分を捨てて消えた父親へ感じる、憎しみともつかない達観した気持ち。
それが秋元少年の根源であった。人にはない出生。
それを感じるための豊かな感情の情緒。
「僕にしか書けない詞があるんだ」
のちに語ったように、秋元少年はその時、そう確信したという。
秋元少年は自身の書いた歌詞を、アイドルグループやバンドマンに対して売り込んでいった。
はじめは誰からも見向きされなかったが、その歌詞を採用するものが現れると、その歌詞の魅力が徐々に口コミで広まり、
彼は作詞業界にその名をじわじわと轟かせることになった。
そこからの活躍はWikipediaでも読んでくれればいい。
ここからは世間も知るところであろう。
美空ひばりの川の流れのようにの作詞、AKB48グループのプロデュース・作詞、そして坂道グループのプロデュース・作詞を手掛けるまでの、天才作詞家となる。
そして、次の日向坂の新曲を考える時期がやってきた。
「う~ん、どうしようかなあ、夏曲だしなあ」
秋元康は悩んでいた。
「なんか、音楽をモチーフにした楽曲を作りたいな。なんか、音楽と恋愛をリンクみたいな」
ギャルゲーのキャラ紹介みたいな外枠に囲まれながら悩んでいた。
「あ。あれにしよう、音階みたいなの!なんだっけ、あれ!あの鍵盤のやつ、あれ」
「ドレミソラシド!!!!!!」
・・・秋元康は義務教育を受けていなかった。
そのため、音階がドレミソラシドではなくドレミファソラシドであることに気づけなかったのだ!!
ファがない
ファがない!(五点減点)
と添削したのが、そのまま採用されてしまっただけで、今もなお、秋元康は音階がドレミソラシドであると思っているのだ。
・・・以上が誰にも知られていない、「ドレミソラシド」誕生秘話である。
・・・。
・・・・・・。
・・・マジでごめんなさい。
おわり