言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

重心を上に

初めてアルバイトを始めた高校二年生から早五年、今日人生初、バイトに寝坊するという失態を犯した。

 

起床。した瞬間全てを悟る謎の超直感が働いた。時計を確認すると、集合時間から既に30分たったところ。即座にスマホを開くと社員さんからの鬼電、引く血の気。もはや躊躇してる暇も無く電話をかけた。社員さんは(少なくとも声色では)優しく応答してくださったが、僕はもう眩暈がする程の申し訳なさでぺしゃんこになっていた。あちら側も、まさか僕が電話口に土下座しながら話しかけているとは思うまい。

 

 

という朝10時だった。僕が現在お世話になっているイベント運営会社のアルバイトでのことである。

走りに走って特急で現場に向かうと、思ったよりも温かく迎えてくれて、思ったよりもスムーズに業務に移れた。僕はイベントの主催者には「もともと来る予定だった人の具合が悪くなったから、ピンチヒッターで来た男」として紹介されていた。

業務の内容について説明を受けて仕事が始まる。淡々とこなしていく。自分でも驚くほどきちんと遂行できているとすら思う。

 

しかし、強烈な違和感が拭えない。

場所とモノと時刻は、四次元的に正確に配置されているはずなのに、圧倒的にこの座標にしっくりこないのだ。

ああそうかこれが遅刻することの「罪」かなんて思いながら、じわじわ失態の苦さをかみしめていた。

 

とはいえ、僕は何もここまで清く正しく生きてきたわけではない。むしろその逆。キムタクと和式便器くらい逆。大学、高校での遅刻の回数を数えたら、ちょうどタイロン・ウッズの年間打点数くらいあるんじゃないかな。

でも今日の遅刻と大学、高校の遅刻を横に並べて振り返ってみても、こんな苦さを覚えた記憶はないぞ、と思った。何が違うんだろうか。仕事の合間にぽつりと立ち止まって考えてみた。存外答えは早く出た。

その時迷惑が掛かるのが誰なのか、だ。

 

まあ大学、高校の欠席もまわりまわれば自分だけの迷惑とかの問題じゃないんだけど、「その時」だけに限って言えば、迷惑が掛かる対象がぜんぜん違う。今日の遅刻は圧倒的に「大勢の他人」である。しかも僕は賃金を頂いて働いているんだから、もっとことは重いものかもしれない。

 

来場客に配るバインダーを片手に持ちながら、立ちすくんで考えていたら、段々と「ああ、俺はいま明確に大勢の大人に迷惑をかけてしまったんだな…」と思ってシュンとした。自分が遅刻したことによるすわりの悪さ(「罪」)を感じるだけならぜんぜん自業自得なのだ。でも、これは個人の問題じゃないんだなって、本当に中学生みたいなことを今更血肉として理解した。

 

あの、こんなことは中学生から言われているんだから理解してろよ、って思うかもだし、今日までは僕も思う側だったんだけど、こればっかりは違う。ほぼ大人というところまで年齢を重ねて、責任を実際に背負ってみないと確認できない事実があるんだね。

 

 

そう、そんなこんなでシュンとしてしまった。

 

窓にうつる自分の姿勢を見ると、見事な「7」の形の猫背。明日も同じ現場で同じ集合時間でバイトがあるのにな。明日もこうなったらどうしような。仕事で挽回したいけどもうチャンスないかもな。

なんて気づけば視線も下を向く。窓の向こうの僕は「7」。こんなにラッキーじゃなさそうなセブンはあまり見られない。

 

なんだか情けない姿に逆に吹っ切れてきた。背筋を伸ばさなきゃ。

ずっと猫背の人生を送ってきた。精神のバランスも、肉体のバランスも、猫背の構えで21年間生きてきた。

それが今日、なんだかショック療法的にハッとした。猫背を直してシャンと生きていかにゃ、また同じ過ちを繰り返すことになるぞ、なんて。この遅刻を通して、なんかちゃんとしようと、全体的に思った。

 

でもずっと猫背で過ごしてきたから、どうにも背筋の伸ばし方に違和感がある。オードリー春日みたいに、過剰に胸を張りすぎてはいないだろうか。

背筋の伸ばし方を、窓にうつる自分を見ながらうろちょろ確認する。重心を上にすると、すっ、と心が軽くなって、キチンと背筋が伸びた感じがした。