言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

ジュースの歴史を急に調べた。ペットボトルが急にキモイ。#22

 

ジュースって、美味しいですよね。

 

一生飲んでいても飽きない。というか19年間生きてきて、たぶんだけど、乳幼児期を覗いて一回もジュースを飲まなかった年が存在しないかもしれない。

 

ジュースってなんであんなに美味しいんだろう。というかそもそもジュースという概念はいつからあるんだろう。

 

急に気になってしまった。気になったからにはすぐに調べよう。きっとお受験する小中学生とかは、家に国語辞典をはじめとする各種図鑑や百科事典があって、すぐに、そしてあくまでも自力で知識を掴むことができるようになっているんだと思う。そう、俺も今からお受験をするためにはすぐ調べるというクセをつけておかなければいけないのだ。

 

調べた。出てきた。以下ブログは次のpdfの解像度ボヤボヤのコピペみたいなものなので、リンク先を読むといいと思う。

http://www.j-sda.or.jp/kids/data/pdf/rekishi1.pdf

 

 

さて感心したことをちょこちょこ掻い摘んで書いていく。俺は最強の大学生。ウルトラコピペマシーン。俺は自動執筆AIができたとき、俺は「俺の次にコピペが上手いものができた」と後世に言い残したのだ。

 

最古の清涼飲料水は、アダムとイブの時代にできた果汁と水を混ぜたもの、というやや神話的な説があるらしい。なっちゃんの遠縁は聖書の飲み物なのか、なっさんじゃん。

しかしここで出てくる果汁、皆さんなんのフルーツを想像しました?

ブドウじゃないですか? なんか聖書に出てくるフルーツとは?って言われたら、ぶどうか、もしかするとリンゴくらいしか出てきませんよね。

絶対この二択じゃないですか?グァバとか言ってる奴は逆張り。アドレス帳から名前を消します。

 

そして我々現代人が最も愛飲している種のジュース、炭酸飲料・・・のもととなる炭酸水が登場したのが1770年頃。酸素を発見した科学者、ジョゼフ・プリーストリーが炭酸ガスを安定的に、水に飽和させることに成功したのである。

彼の活躍したころ、「酸素は存在せず、物を燃やすための元素、フロギストン(燃素)」が存在するとの説が有力であり、酸素を発見したと主張するジョゼフちゃんは科学界から孤立してしまったそうだ。かわいそう。でも炭酸水をつくりやすくしてくれてありがとう。

 

 

でその三十年後くらいに、果汁入りの炭酸水が発明されて、1928年にはトマトジュースが誕生・・・という流れ。

日本にコーラが到来したのが1949年。嬉しいね。まだ百年も経ってないんだね。

そして1982年、食品衛生法改正によってはじめてペットボトルが清涼飲料水用の製品化が行われた。だからそれまでは全部缶飲料だったと考えると、なんだかペットボトルが急に新参者のキモイ容器に見えてきた。なんだペタロイド形状って、その言葉、マジでクイズ番組以外で聞かねえからな、イキんな。

 

 

という歴史らしい。

 

いろいろ調べると、いわゆる清涼飲料水の日本における歴史のスタートは、黒船来航のペリーだったというわけであった。ラムネが初のジュースと定義してもいいのかもしれない。

 

あとこんな記事を書いていると猛烈に喉が渇いた。

おなかも空いた。

死が急速に近づいてるの?

 

Priestley.jpg「そうだよ、君は死ぬんだ」

 

ジョゼフ・・・

 

Priestley.jpg「こっちにおいで・・・」

 

 

 

ジョゼフ・・・・・・・・

 

ありがとう・・・・・・・・・

 

 

さようなら・・・・

 

 

 

THE BOYS&GIRLSワンマンライブ「GO PLANT, GO TBG」に行った

 

 

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THE BOYS&GIRLSのワンマンライブ「GO PLANT, GO TBG.」に行った。

 

昨日ライブを発見して、昨日チケットを取った。e+会員登録中に一度売り切れてしまったのだけれど、粘って粘って空いた一枚を捥ぎ取れた。

 

ラストの整理番号70番、つまり全員で70人。スカスカだけどギュウギュウの、スカギュウ(シンゴさんがMCで言っていた新語)のPLANTでのライブだった。

 

 

 

さてどこから書いたものか。

折角ライブに行ったんだから今の限りなく生に近い感情をなんとか文字に起こしておこうと思うのだけれど、まあ難しい。こういうときは時系列順にとにかく気の赴くままに書いていけばいいと経験的に少しずつ分かってきた気がするので、とりあえず書いていこう。

 

 

 

 

 

ライブハウスとして/カレー屋としてPLANT が最高

昼、PLANTで三種あいがけカレー(1400yen)を食べた。ボディーブローのように長時間後味が効いてきて、今まさに、めちゃくちゃ食いたくなっている。おススメはアニスのブラックポークカレー(こんな名前だったっけ?)。八角と五香粉がスパイスとして使われていて、今まで食ってきたカレーというものの概念を揺さぶられた感じ。

PAYPAY払いもできて、今ならかなりの額還元されるからオトクだよ。

 

でPLANTというハコ、立地が最強に良い。札幌民にしか伝わらない話をこれからします。

 

 

 

北24条バスターミナルから徒歩1分!!51m!!

しかも真横にローソン!松屋ミスタードーナツ!温野菜! ライブ前後に腹ごしらえできる。余韻の中で、なんだか激エモな会話もできるでしょ!

 

僕は12時頃にPLANTの激うまカレー(写真ナシ)を食ったあと四時間ほど、ずっとお隣のミスタードーナツに籠っていました。

 

 

 

 

コロナウイルス下でのライブハウスというものについて

 

受験期を抜けたと思ったら、途端始まったコロナのパンデミック。糾弾されまくるライブハウスをニュースで見るたびに、腹立たしいような気持になっていた。ライブはずっと画面の向こうで、音楽はヘッドホンとイヤホンが歌っていた。

 

でも誰のせいでもない。

ライブ中もシンゴさんが言っていた。

「CDの発売が四月から七月に延びてしまったんですけど…………おかしいな、別に、誰かから延ばせって言われたわけでもないしな……うん、俺が延ばしました」

 

そう、感染症は事実としてそこに存在する。死者まで出ている。だからこそどうやって行くか、どう生きていくか、といういわゆるウィズコロナ(なんかわからないけどこの言葉はそんなに好きじゃない)の時代なのである。

 

ライブハウス、ときくとコロナウイルスの巣窟のように思われるかもしれないが、今日のPLANTでの感染症対策はばっちりだった。

・入店時消毒・検温は確実に行っていたし

・チケットのもぎりまで各自で行い、釣銭渡しもトレイで行っていた

・ライブ会場にはソーシャルディスタンスが保たれるようにバミリがしてあったし

・ライブ中の歓声もご法度で、レスポンスは掲げたこぶしだった

 

とまあ、「絶対にクラスターなんぞになってたまるか」「コロナなぞ出してたまるか」といったような鉄のような決意を感じた。

 

実際、民度も最高だった。勝手にバミリを離れてモッシュしたり、ステージに駆け寄ったり、マスクを外して叫んだりする人もいなかった。やっぱりライブハウスってみんなで作るものだなと実感した。

 

というわけでチャンとやる、ちゃんとやれば、ライブハウスは生音を聴ける最高のハコである。大声出せないの寂しいけどね!

 

 

 

GO PLANT, GO TBG. !!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ライブの中身のお話。

 

ボイガルは、本当に圧倒的な熱量だった。札幌は今日、PLANTのあの会場だけほとんど初夏だった。

 

セットリストは覚えていません!各自で念写してください!

 

 

「心で叫べよ!!」と汗だくでシンゴさんが僕らに向かってマイクを向けていた。その姿が克明に瞼の裏に刻まれている。シンゴさんが声を枯らして僕らの分まで叫んでくれている。だから安心して僕らは拳で応えられるのだ。

 

身体が動かされる。身体を動かすと楽しい、という能動的な感じではなく、もはや動かされるという表現のほうがしっくりくるのである。

ボーッとする余地はない。足がぶるぶるするし、衝撃波みたいなものでフッ飛ばされてしまう。スピーカーからの爆音だけでなくて、絶対何か衝撃波みたいなものが僕を震わせていた。

 

だからと言ってコワいコワい、みたいな感じではなくて、雰囲気はやわらかかった。

MCが面白い。なんか適当なことを言っていた気がするけど。だからもう一回行きたくなる。

 

 

ミスターラッキーオールドで泣きそうになった。というか泣いていたと思う。

一炊の夢は完全に泣いた。受験期になんどもなんども繰り返し聞いていた曲だったから、その頃がぶわーっと出てきてしまった。「歌うこと あきらめない」と歌うシンゴさんの歌声が鬱々としたコンクリの厚い壁にハンマーを打ち付ける。

 

ロックバンドのギターとベース、ドラムが僕の心臓を動かしているのかもしれない。音楽を聴いていないときは、最後に聴いたギター、ベース、ドラムの振動の残りで生きているのかもしれない。

 

そんなことなくて、他にもいろいろあって俺は生きていると知りつつも、本当にそう思えてしまいそうなくらい、自分の”核”の方に強いインパクトを与えられた。

 

コロナウイルスがどうのこうのってあっても、まだここにロックンロールは生きているんだなと思った。それが幸せなことだった。コロナ禍において、好きだったバンドのいくつかが解散してしまった。

 

 

とにもかくにも、良いライブだった。ずっとずっとロックンロールは続いてってくれ。

 

 

見ないうちに死んでいく【#20 Creepy Nuts「かいこ」】

 

実家はいつからか、帰る場所だったのが向かう場所になっていた。

 

 

昔アルバイトしていたセブンイレブンにライブのチケットの料金を払いに行くと、当然のことながら全く知らない人たちがシフトに入っていた。

 

勤めていた時、土日の12時から17時は僕のシフトだった。この時間は近所の子供とか主婦とか大学生くらいの人が来るだけで、そんなに忙しくない時間帯だったっけ。

 

そんなに客足が途切れるわけではなかったけど、たまに来るあまりにも暇なときは、レシートの裏に数学の受験勉強をしたり、彼女に送るプレゼントと給料の計算をしたりしていた。

 

店内BGMは本当にパっとしない謎のループ音だった。店内放送も無く、ロックバンドの歌声もなく、本当にパっとしない、出所不明の謎のループだった。あれ、Day Dream Blieverだったっけ?あれ?

 

 

知らない家が建っていたり、知らない店ができていた。高一の頃にできた空きテナントにカレー屋ができていた。コロナ禍で潰れた運河亭はたぶん未だに潰れているだろう。

 

小中学生の同級生の中には高卒ですでに就職したひとたちも多くいると聞く。

バイト禁止の高校を終えて、近所のコンビニや書店でバイトする元・友達がたくさんいたと母からきいた。

 

僕がこの愛すべき札幌の端っこの愛すべき辺鄙な町を離れて、東北で一人くらし、もがいたり死んだように寝起きしたりそれでも前向いてみたり鬱々としてみたりしていた間も、札幌でも同じように時は流れていたんだな、当たり前のことに今更気づいた。

 

それがなんとなく寂しく感じる。

 

 

母がたの祖母は祖父が他界してから北海道の片田舎で独り暮らしている。この前電話したとき、駅前の寂しかった商店街が、コロナ禍のせいで、より一層鈍色に染まっていったことを伝えてくれた。

 

そんな風にきっと僕の知らないところで急速に色を失っているものが、この世の中に数えきれないほどあるんだと思うと、やっぱり寂寥感をひしひしと感じてしまう。

 

 

年末にいつもテレビでやっている「戦力外通告を受けた野球選手のその後のドキュメンタリー」、これを見ると気持ちが寂しくなる。

一発屋芸人チーム、に出てこない一発屋のことを考えると気持ちが寂しくなる。

 

小学生のころ有名だったYouTuber、ニコニコ動画の再生数ランキング、更新の止まったウェブサイト、解散したバンドのTwitterアカウント。

 

 

別に俺が回顧したところでどうなるってわけじゃないけどね。

 

 

 

youtu.be

最近、歌ってみたをCoverと書いてる【#19 めいちゃん「パンダヒーロー」】

 

明るい音楽を聴けない精神状態の日ってあるよね。

 

元気で、エネルギーに満ち満ちているような日は、むしろそんな明るい音楽が自分に羽を授けて、もっともっと飛翔するための活性剤になるのに、じとじとして溜息すら出ないような日には、明るい音楽を懐疑的に見たり、斜に構えて重箱の隅をつつくように批判したりするの、なんなんだろうね。

 

 

ライブに行けなくなってから、音楽を聴く方法は圧倒的にイヤホンになった。

脳味噌に直接つながる器官に、最短距離で音楽をぶち込んでいる。これはもはや音楽の静脈注射といっても過言でない。

音楽という刺激的な化学物質を、脳味噌に直で延々と注入しているのである。

 

脳味噌のほうが鬱々としているときに、躁的な音楽を静脈注射で流し込むと、磁石のS・Nが反発しあうようにして、「ああ畜生!」と道行く老婆にでも空飛ぶカラスにでもおもきし中指を立てたくなるのである。

 

 

だから僕は、端末のプレイリストに「どっちでもいいからブッ飛べる」曲を主観による選定でまとめている。

 

お前の感情なんか、知ったこっちゃね~、という破壊的な、あるいは、いいからあたしの曲を聴きなさい、というある種押しつけがましい、そんな曲群があるのだ。

 

 

youtu.be

 

パンダヒーローはまさにそんな曲である。

 

パッパッパラパッパパラパ

ラッパの音のような歌詞が、自分の脳の中の汚れたコンクリの壁を巨大な金属バットで破壊していく。

 

とくにこのめいちゃんverがいい。イントロの裏拍?が最高に良い。原曲は耳が腐るほど聴いたから、このアレンジは今新鮮な状態で鼓膜にぶっ刺さる。

 

歌い方もいい。歌ってみた文化って本当にいい。最近じゃ「歌ってみた」じゃなくて「cover」と多くは書くようになったらしいけど、本質的に「歌ってみた」は「歌ってみた」だと思う。

自由なんだよね、Coverっていうより、歌ってみた、っていう気軽なくらいの方が、なんかいいよね。

VOCALOIDって、いわゆる普通の歌手が歌う曲と違って、まあ詰まるところコンピュータの音声なわけで、でもだからこそそれを人の声で再録しようと思ったとき、解釈の裾が広がってる感じがする。

だから普通のCover、よりも歌ってみたの自由性が好き。

 

 

早口で言ってそう。

 

 

気に食わないことがあったとき、意味もなく明るい曲が聴けなくなってるとき、とりあえずパッパッパラパッパパラパしようぜ。

 

 

一億総ダルさ社会【#18 a flood of circle「青く塗れ」】

 

頭が痛かったり、全身がだるかったりする日って、どうやって乗り越えればいいんだろう。

 

しんどかったら横になって、横になっている間は極楽なんだけど、ひとたび起き上がろうとする意志を見せた瞬間また急激にダルさが襲ってくる。

その高い高いハードルを乗り越えてえっちらおっちら起き上がったとて、作業を始めるとまた鈍いだるさが暗雲のように立ち込める。

 

詰んでない?

 

現代を生きる人間にとっての最強の敵って、同じ人間か、もしくはダルさという概念なんじゃないのかと思う。

 

 

この現代社会はもはやダルさ社会である。

 

料理作るのダルい→コンビニエンスストア・冷食・UberEats

 

歩くのダルい→各種公共交通機関・タクシー

 

眠いしダルい→エナジードリンク・栄養剤

 

この世に溢れる商品・サービスのほとんどはダルさの解消を下地に存在している。

 

 

絶望した!こんなダルい世界に絶望した!

糸色望ばりに嘆いてみたところで状況は毛ほども好転しない。

 

 

というわけで今日も音楽を聴いて死なない程度に生きていくのだ。

 

 

youtu.be

 

a flood of circle 、いいですよね。

 

俺の中のうっぷんの破壊の象徴と化し始めてる。

人と服を買いに行けない【#17 SUPER BEAVER「らしさ」】

 

服を買いに行くとき、どうしても一人じゃないと無理だ、という派閥の人間である。

 

なぜか、と訊かれたときの便宜的な説明として

「同じような服と違う店で出会ったときに、じっくり見比べるのが複数人だと難しいじゃないですか」

と回答しているが、今日ふと考えてみたところ、どうやらそれは微妙に本質とズレているような気もしたのだ。

 

 

 

上のような言い方だと、まるで「俺っちの買い物にィ、他の人はジャマなんすわァ」というような嫌味っぽい雰囲気を孕んでしまう。これは僕の言いたいことではない。

他人VS自分の関係性が、煩わしいとか余計である、みたいな部分を強調したいわけではない。

どちらかというと、服VS自分が問題なのである。

 

服を購入するのを迷う、というのは、友人と食うラーメン屋をどこにするか迷う、というのとは大違いである。

どうせ一日後には排せつ物になって出てくるラーメンと違って、服は自分という存在そのものをデコレーションする、あるいは自分の内面の一番外側を形成する大事な要素なのである。

 

つまり、服選びは究極的に、おおごとに言えば、「自己の存在・内面を構築する手段の一つ」だとどうやら僕は考えているらしい。

 

それに金という代償も付随して払わないといけない。モノによれば結構な金額もする。

 

 

その重要な決断の場において、僕は持ち前の不器用さから、どうしても他人が介入するとへたくそになってしまうのだ。みんなが両立してできるその服VS自分の戦いも、僕にはどっちかで手一杯なのだ。

 

 

 

 

youtu.be

 

自分の着たい服を着て生きていくのもエネルギーがいるが、そのエネルギーが俺らしさを演出していくのかもしれない。

スパーク音楽【#16 CVLTE「needed you」】

 

開始一秒未満で心をわしづかみにしてくる音楽に出会ったことがあるか?

 

ちょうど数秒前、僕はそれを体験してきた。

 

 

youtu.be

 

イヤホン推奨。

 

CVLTE(カタカナ読みだとカルト)はいいぞ。

 

YouTubeを立ち上げるとトップ画面に新曲が出ていたので、何の気なしに再生した瞬間、閃光のようなものが体躯を走り抜けた。

 

ああそうだこれがCVLTEの持つ麻薬性だった、と改めて感じさせられる。

 

瞬間的に夜の中空に揺蕩うような不思議な感覚に陥る。

身体が無意識にリズムをとってしまう、ドラムの音が気持ちいい。

ボーカルの声はどこか蠱惑的な雰囲気すら漂う。

 

絶対に流行るだろう、といったような王道の雰囲気を湛えつつも、確実に「CVLTEである」と言わしめる独自性も音使いのはしばしに感じられる。

 

 

CVLTEは最強だ。