言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

ノンフィクションっぽいフィクション

 

イライラする日もある。そしてそういう日は何もかもに中指を立てたくなる、し実際立てる。

 

道を横幅いっぱいで歩いている老人たちに「シルバーブラザーズA~D」とモンスター名を付けたくなるし、自転車で爆走してる子供を見て火炎瓶を投げつけたくなる。大なり小なりそういう日は九割九分の人間にはあるはずだ。

 

人間の怒りは6秒で消えるという話があるが、それがたまに自分で恨めしく思う。この矛先を失った怒りが、自然消滅して空気中に溶け込んでいるような気は、どうにもしない。絶対、何らかの有害な成分となって体内に蓄積されているに違いない。

俺の突き立てた中指はきっと俺の心臓をぐさぐさ刺しているのだ。

 

 

というわけで今は新幹線のホームにいる。焦っていたせいで完全に時刻表を読み間違えていた。あと一時間は、この何もないが、妙に座り心地のいい椅子の備えてある待合室で時間をつぶさなければならない。椅子のある待合室があるのは、1200円余分に課金したおかげだ。そしてなにより今が春でよかった、冬だったらさぞ寒くてもっと惨めな気持ちだったろうと思う。

 

待合室で独りゆっくりと諸所の思索に耽ることができると思っていたら、服装のセンスがなんか絶望的な年の差カップルが外から俺のことをチラチラ見てきた。何?

あ、どっか行った。あ、乗るのね反対行きの新幹線に。ばいばい。かっこいいね新幹線。

 

今、僕はこうしてぽこぽこブログを書いている。明後日までかけばちょうど、(時折日付を跨いだけれど)一か月ぶん毎日欠かさず書いたことになる。PVはそんなに伸びなかった。伸ばそうとしていないのだから当然である。・・・と言いつつ、結局伸びてほしかったとも思っている。やっぱり文章を書く物書きとして、そして一人のどうしようもない人間として、承認欲求はそこに存在するのである。

物を書くという、ともすれば幼稚園児でもできてしまう単純な行為、この行為にて自分を表現して、その上人に認めてもらいたいなんて、その欲望自体傲慢だったのだろうか。

 

そう考えると世のちぐはぐって、傲慢というものから生まれる側面もあるのかもしれない。俺に老人を「シルバーブラザーズ」と呼ぶ権利はないし、他人の子供に火炎瓶を投げつけていい道理もない。傲慢である。甚だ傲慢である。

排出されなかった「怒り」という傲慢は、不可視のガスみたいになって、俺の肺腑を蝕んでいくのだ。傲慢は人生のタバコみたいなものかもしれない。

お金がない

 

お金を貯めるのが、そこそこ好きだ。

エビカツバーガーよりは好きじゃないけど、荷物を運ぶ時の梱包材(プチプチ)より好きだ。

 

そして、人に勉強を教えるのが好きだ。

脳味噌の中にストックしてきた、「俺ンジn年生」を解放できるのが好きだ。小中学生のころ、嫌いな担任や教科担の授業のとき、教師の板書をガン無視してオリジナルのノートを製作していた経験が生きている感じがするのがすきだ。

 

つまり塾講バイトは最強だ。(顧客が求めているかどうかを完全に無視すると)もはや天職といっても差し支えないのではないかと思うほどである。

 

 

しかし、危機に瀕している。来月のシフトがびっくりするくらい少ない。四月はお金が嘘かというくらい消えていってしまうというのに。

クラウドファンディングでもしようかな。「1万円くれたら僕があなたのことを考えます」みたいな。

 

 

 

プペルを描こう!

 

捻くれ者、日向坂46のライブを観る

 

僕はひねくれている。

 

世界がAというならばB・・・というような安直なひねくれから、さらに捻じれてA’というようなキモ過ぎの生き方をしている。こんな生き方はイヤだランキング八年連続堂々の一位である(脳内調べ)。

 

さてそんな捻くれ者にアイドルや売れ線のバンドを見せてもロクなことはない。

最悪、辺りが腐臭のするゴミ溜まりになって、人間の極北にいるような負の権化たる存在が瞬く間に生誕してしまう可能性もある。

 


言い過ぎた。

そこまでは捻くれてないかも、俺。誇張表現ばかりしていたら、本職の捻クレストに怒られてしまう。

 

 

 

というわけで今日は日向坂46の配信ライブを観た。

「日向坂46 デビュー2周年記念 Special 2days ~MEMORIAL LIVE:2回目のひな誕祭~」である。

タイトル通り日向坂46として結成二年を記念した節目のライブである。

 

 

しかしまた、急になんで?という話である。これには原稿用紙云枚分をも費やす深い訳が・・・別になくて、ただ単に僕の彼女が日向坂46のファンだからというわけである。

その影響を大いに受けて、僕も今では無事メンバーだいたいのフルネームを諳んじることができるようになってしまった。

 

類稀なる精神力と日々の若干のアップアップ加減により、『おひさま』になることを免れているが、もし、僕が僕の人生に飽き飽きし始めたら、物が高いところから低いところに落ちるが如く、急速にハマっていくに違いない。

 

 

 

 

閑話休題

 

僕は今までアイドル文化というものに全く触れずに生きてきたもんだから、アイドル独特のシステム?みたいなものを彼女に教えてもらうたびに、目からうろこが大放出される。

 

先刻、サイリウムカラーという概念を知り、「でも色の数、メンバーの数に対して足りなくない?」と思ったら、「二色の組み合わせで決まる」と教えてくれた。

 

ホァ~~なるほど、ホァ~~、なるほど、組み合わせかァ~~~!(CV.なるほどジジイ)

 

 

だから今日ライブを観て、マジで発見が盛りだくさんだった。

 

アイドルって、エンタメ全部乗せみたいなものなんですね。

 

どうすればファンが喜ぶのか、それを完全に熟知していないとできない、幾多にも渡る手法でファンを熱狂させる。

日向坂のアイドルはみんなキラキラしている。きっとアイドルをやっていなくても、街中で「振り向かれる」オーラみたいなものがあるんだと思う。

ただそのオーラを最大限に引き出すのがきっとその「キラキラ」を作っている大人の仕事でもあるのかもしれないと思った。その演出家たちのあまりの手腕に、ライブ後僕は『演出家 なりかた』でググってしまったくらいだ。

 

ライブ前のあのovertureっていうんですかね、あれ最高。マジで最高。俺の起床時にも作ってほしい。俺・Overtureを。

これを編集・作成した人たちにもBIG・LOVE。

 

 

 

ガチ恋勢と普通のおひさまのあいだにいる人たち、気を確かに保つので精一杯なんじゃないか。

ライブ中、数曲のあいだだけ、宮田愛萌の彼氏になったと錯覚してライブを視聴してしまっている疑似人格Aを脳内に召喚してみたんだけど、ソイツの精神はもうにっちもさっちも行かなくなってしまっていた。これを主人格に置いて生きている人は大変である。

 

頑張れガチ恋勢。

 

 

まだもっといろいろ書きたいことがあった気がするんだけど、これはまだ脳内でフワフワしすぎてるからまたいつか。

色々とエンターテイメントについて考えるうえで、アイドルのライブって学ぶことがたくさんあるなあという話でした。

太オタクかく語りき

 

テレビがインターネットに勝てるのだろうか? とふと考えてみる。

 

すると僕の中の太ったオタクが「まあ、無理だよね・・・w」とニヒルな笑みを浮かべ、僕の中の痩せたオタクが「コンテンツ力で勝てないデショ!w」と歯を剝き出しにして小さく笑う。

 

嫌だ、出てくるな俺の中のオタク(細)、オタク(太)たち、ここはまんだらけでもとらのあなでもないんだ。

昨今このような若者のTV離れと言われる傾向が進んできているし、実際そのように提唱している人々がごまんといる。

だが今現在、TVはまだ消滅していない。ドラマの話題がタイムラインをにぎわせることもしばしばである。

じゃあ一体どこでテレビがインターネットに勝っているのだろうか。

 

 

 

1.おそらく時事ネタが強くなる

 

一応インターネットに棲息している人類である僕だが、普段の会話などでもちろん時事ネタを交えて話すこともある。その時事を作るのがテレビだと僕は思う。

 

と言うと僕の中のオタク(細)が「Twitterのタイムラインで情報は十分デショw」とフレームが赤くて太い眼鏡を中指で直しながらすかさず言ってくるのだが、よく考えてみるとTwitterは全員共通のいわばコモンセンスな情報を受け取るツールではないのだろうか、と僕は反駁したい。

 

#ジャニオタさんとつながりたい のタイムラインに生息している人と、#コロナは風邪 のタイムラインに生息している人、#ウマ娘 のタイムラインに生息している人に、Twitter発の共通の時事なんてめったに存在するもんでないだろう。

それにTwitter上の流行り廃りは極めて高速だ。きっともうお前ら、「ハワイって実はなくて」も忘れてるだろ。

 

それに比べてテレビはすごい。まあテレビにも流行り廃りはもちろんあるけど、そのスパンは適切なように感じる。「時事ネタ」として通用するくらいまで使ってからすたれてく。その切り具合が(意図してないけど)いいよね。

だって「まちゃまちゃ」も「ゴー☆ジャス」も通じるもん。すごい。

 

だから、春が着たら春服を着る・・・みたいなレベルの、自然な時事ネタ感覚?をやしなうにはテレビって最適なのかもしれない。

 

 

2.情報が(インターネットに比べ)整理されていて迅速

 

いわゆるパレート最適のようなものなんじゃないかと思う。

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こんな感じ?(最近Surfece Penの電池が復活したのでうれしくて図を書いた。)

 

最近はテレビの情報源でも一概に信用できますよとは言えなくなってきたので、あえて「整理」されていると書いた。

だからこの整理性と迅速性のちょうどいいとこがテレビのいいとこなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

・・・とここまで書いて、僕の中のオタク(太)がいうのである。

 

「でも、結局見たいものしか見ないからYouTubeとか見るよね・・・w」

 

 

たしかに~~~・・・・・・

 

 

イマジナリー村上

 

(♪出囃子)

 

俺も、アニメの主人公になりたいよ~

 

イマジナリー村上「何?アニメの主人公になりたい?」

 

バトルアニメの主人公になりたい

 

イマジナリー村上「バトルアニメの?いやそんな簡単になれないと思いますけどね」

 

ちょっとやるから、そこで見てて

 

イマジナリー村上「やるのね?わかったわかった」

 

 

 


大集合「ぼよよん行進曲」 お兄さんお姉さん中西圭三さんといっしょ

 

 

 

イマジナリー村上「違うよ!!!」

 

 

 

 


ぜんまいざむらいOP mpg

 

 

イマジナリー村上「違う!!!!!」

 

 


大原ゆい子「えがおのまほう」ミュージックビデオ DANCE ver./TVアニメ『はなかっぱ』新OPテーマ

 

 

イマジナリー村上「ち~~が~~~う~~~!」

ロックバンドが生きている、聴け【SULLIVAN's FUN CLUB「DESTRUCTION」】

 

最高、生きててよかった。

 

と思える音楽を叩き付けてくる、ロックバンド、SULLIVAN’s FUN CLUBが大好きだから、お前にも聴いてほしい。

 

性懲りもなく、俺は今日も大好きな音楽について書く!

 

当記事はSULLIVAN's FUN CLUB5th degital single「DESTRUCTION」についての感想文である。

 

ただひたすらに感想文である!!!!

別にそれがどうでもいい人は、曲だけ聴いて帰ってほしい!!聴け!帰れ!

 

 

 

SULLIVAN's FUN CLUB「DESTRUCTION」

 

youtu.be

 

 

タイトルを見、その意味が、Destruction=「破壊」であると気づいた瞬間、僕は電車の中で軽くのけぞってしまった。

 

 

高校の頃の先輩に会いに行くため、海の見える町に行き、夜を徹して勉強したり遊んだりして、朝の6時のしんとした空気と海を見て、それから気づいたら午後2時の電車に乗っていた。電車に乗り込んで、それからゆっくりYouTubeのこの動画を再生した。

 

 

徹夜明けのぼやける頭と機能不全の鼓膜を震わせる、稲妻のような

 

「ハロー まだ 聴こえるか?」

 

の歌声が完全に脳味噌を覚醒させた。

 

サビではこの「ハロー まだ 聴こえるか?」という歌詞が繰り返される。なんだかトランシーバーで遠い場所にいる誰かと連絡をとっているかのようだ。しかしその誰かとは一体だれなのか。

そもそも何が「聴こえる」かどうかを問うているのか。

 

 

 

楽曲というのは聴く人の数だけそこに解釈が存在するものだと思うので、別にこれはただの妄想なんだけど、なんとなくこれ、「自分自身」「かつて歌っていた歌」が聴こえるか、を問うてるのかもしれないな、と感じた。勝手に。

 

 

僕のSULLIVAN's FUN CLUBの最高にカッコいいと思う点の一つが「初期衝動」を常にどっかにともし続けてることだ。

 

それは変わらないってことじゃなくて、原点みたいなものが、一貫しているものが、常に芯としてアチアチに存在してるってこと。だから俺は安心してゲロ吐きそうになるほどサリバンの曲聴きながら走りだしたりできるのだ。

 

ゲロ吐きそうになるまで走りたくなるバンド、そしてそれくらいの熱量を帯びたロックバンド、俺はサリバンが大好きなのだ。

 

 

 

日が昇る 日が沈む

今日もまた 歳をとる

擦り切れた感情に お前が針を落としてくれよ

 

 

歳をとるごとに時間が経つのが早く感じる理由の一つって、刺激がなくなって、感情とかに動きがなくなる、日々の繰り返しで行動が早く感じてしまうかららしい。

 

その中でも、かつて得た「初期衝動のロックンロール」が「まだ聴こえるか」と自問自答しているような、そんな決意的ななにかを勝手に感じている。

 

 

でも結構大事だよね、初期衝動って。

フツーにのほほんと生きていると忘れがちになるけど、自分の中に一本、いや一本でなくても、複雑に絡み合っていても、言語化できなくてもいいんだけど、とにかく得体のしれない「初期衝動」という名前の高エネルギー体を持っていたい。

 

 

 

しかし、この「DESTRUCTION」は、タイトルからそうである通り、初期衝動の焼き直しとかでは絶対にないと思う。

 

 

実は、SULLIVAN's FUN CLUBは、今回のシングル前後で、ベースがヤダニイナさんから、ハセガワペイさんに変わっている。

つまり、新生SULLIVAN's FUN CLUBである。

 

 

 

このことが詞・曲を担当する敬愛なるヨシダレオさんの作詞になにか変革?変容?をもたらすか、劇的な方針転換とかあるのか、とか結構ツルハで会計待ちしてるときとかに考えてたんだけど、

結局SULLIVAN's FUN CLUBはずっとSULLIVAN's FUN CLUBなのである。

 

サリバンは常に変わり続けるし、変わり続けつつもそこに渦の中心が在るのだ。

 

 

 

つまるところ何が言いたいかというと、

SULLIVAN's FUN CLUBはこの曲でも俺を、お前を、DESTRUCTURE(破壊)してくれるってことである。

 

 

 

「今から全部壊してみようかな」

 

衝動的にこう歌うかたわら、

 

「春の花のように やさしくなればいい」

「やさしくなれるように 強く生きればいい」

 

とも歌う。

 

やさしさとは何だろう。

むずい。

 

サリバンのロックは別に俺らを救おうとしちゃいない。何時も熱くてするどいのである。でも、やさしくて、どこか繊細な感情で、切なくて、暗くて、陰鬱なのだ。

 

 

だからこれはもはや宗教なのかもしれない。ヨシダレオさんの歌声、ヨシダカズマさんのギター、ハセガワペイさんのベース、タダカズキさんのドラムが、俺みたいに、いやもっと深く、誰かの人生を捻じ曲げてしまうかもしれない。

 

特にラスサビ前の間奏とか、(素人耳にも)凄い。

粗削りのようなメロディがとんがって刺さってくる。ペイさんのベースも最高だ。カズキさんのドラムとリズムを刻み、俺の心臓を動かしていく。

 

 

 

 

 

・・・・言いたいこと、言えたかな。

 

言語化不能な感情があるからこそ、音楽が誕生して生きながらえてると俺はつくづく思う。だってすべてを言語化しうるなら、文章ですべてのことが表現できてしまうから。

 

 

 

だからこそ音楽についての感想文って挑戦である。もとが無理難題。

 

うん、つまり聴いて!ってこと。

いっぱい聴いて、俺と一緒にどうにかこうにか無理な感情を言語化しよう。

 

 

そしてそれ以前に、SULLIVAN's FUN CLUBはそんな形のない最悪とか最高とかそれすら定量化不可能な感情を、全部ボコボコにしてくれる、最強のロックバンドなのだ。

 

 

 

 

 

感想文おしまい。読んでくれてありがとう。

SULLIVAN's FUN CLUB - DESTRUCTION(MV) - YouTube

 

 

 

 

なんで今まで聴いてなかったんだ【#23 THEラブ人間「幸せのゴミ箱」】

 

 

youtu.be

 

朝から聴くには最高すぎる曲じゃないですか。泣いちゃいそう。

 

THEとつくバンドに外れがないんじゃないか?と最近妙な定理が成立しはじめてきた。
思いつく限りだいたいそうだ。

 

徹夜明けの朝五時のコンビニとか、すき家の店内で聴きたい。泣きはらした後に聴きたい。

そしてよくよく考えると、今までTHEラブ人間を俺は聴いたことがなかったかもしれない。いやいや、名前は何度も聞いたことがあったし、たぶん俺は大好きなんだろうと思ってたけど、何故か意味もなく聴いてなかったかもしれない。なんで?

そういう物ってある、なんでいままで素通りしていたんだ、といったようなもの。でも素通りするにはあまりにもかっこよすぎるロックンロールじゃないか? どうしていとも簡単に素通りすることができたんだ?

 

 

しかしだな、そう後悔する反面、ぼくはわりと部分的に運命論的なものを信じている節があって、森信三の「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないうちに。」という言葉をわりと鵜呑みにするみたいに自分の考え方として使っているのだ。

でそれは小説とか音楽とかにも言えることだと思っている。「なんで素通りしていたんだ」ではなくて逆に、「今だからこそ出くわした」のかもしれないと思うのだ。

 

 

だから今知れてよかった。きっとこれからおかしくなるくらいハマってくかもしれない。