徹夜した朝の6時しか、知らない。
最後に朝6時に起きたのはいつだろう。
忘れているものが増えすぎている。列挙できないくらいに忘れている。べつに忘れていいものだから忘れていくのか、それとも自分が人間としての機能を完備できていなくて忘れてしまっているのか、その差は大事なもののような気もする。
そして今日も眠るのを忘れるし、部屋を片付けるのを忘れるし、新幹線の予約もホテルの予約も忘れている。
できることならば、ループBGMになって、好きな配信者の雑談配信の裏で一生流れていたい。パソコンの排熱みたいな温いネットの電波になりたい。効果音も一切なくて、ただ配信者の雑談の裏でひっそり存在しているだけの、湿った日陰みたいな存在でありたい。
でもこれも、現実のことを忘れているから言える発言であって、現実の俺はこんなこと考えている場合じゃない。一刻も早く生活に戻るべきだ。
そうだ。生活に戻るべき、でおもいだした。
APEX LegendsというFPSゲームにハマっているのだが、この「生活に戻る」感覚と近しいものを、最近そのゲームに感じたことがあるのだ。
APEXはバトルロワイアルゲーム(みんなでとにかくボコボコに戦い合って、最後に生き残る1チームだけを決定するゲーム)なのだが、広大なフィールドの中に散らばったプレイヤーたちを、なるべく接触させてファイトさせるために、「安置」という概念が存在する。
ゲームが始まって少しすると、安置という領域が決定する。その安置の中にいなければ、プレイヤーは徐々にダメージを受けてしまうので、全プレイヤーは遅かれ速かれそこに集結することになり、その中でファイトを繰り返していくのだ。
ただ一度安置にたどり着いたとしても、その後またしばらくすると、その中にさらに小さなサイズの安置が用意され、(まるで取りつくし法とか鳩ノ巣原理的に)どんどんファイトが加速していくのである。
この安置、ランダムに決定するので、プレイヤーが最初に到着した地点からかなり遠くに存在することもあり、途中で接敵するリスクと戦いながらも大慌てで移動しなければならないこともある。
そういうときは大変で、たまに間に合わなくて、安置外にいることによるダメージで死に絶えることもあるのだ。
これ、これに似ている。最近の生活はごくそれに似ている。
生活の中でどうしても避けられない作業とか、アルバイトみたいなどうしても取り除けない労働みたいなものが、安置みたいに迫ってきては、すんでのところでやり過ごし、安置の端っこで息を切らしているところにまた次の安置が設定されてひた走るはめになる、という流れ。
円状の安置の中央に達することは決してかなわず、ずっと息を切らしながら死なないように走らされていて、ファイトを避けて、ただ安置内に入ることだけが目的の生活。
それは「安置内に入れているだけ」の生活なので、装備はボロボロだし、武器もないし、というかHPも満身創痍だし。
クレカの再配達依頼したり新幹線の予約したりペットボトルの大量のゴミ捨てたりする「安置移動」をギリギリまで放置することにして、どうせ今日は12時くらいに寝てしまうんだろうな。もはや悲しくなくなった。
もっと接敵してシールドのレベルを上げたり、敵から物資を奪ったりして自分自身をアップグレードしないと「ステータスとしての自分」も「プレイスキルとしての自分」も強化されるはずなんてないのに、どうしてそれができないんだろう。
安置が来ている。
考えるのをやめて眠ろう。今は「そこそこの飲み会が昨日あった筈なのに徹夜したからゲボ出そうというかさっき喉元までゲボが上昇してきた系安置」に追われているのだから。
家賃、払ってない。
安置が来ている。今日もシールドは白。スコープもないしアモもない。