言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

走った記憶を楽しくする

おはよう。

 

敢えて手の内を公開するとすると、今日から俺は、自分の生活を是正しようと取り組み始めたところである。

 

※”敢えて”といったのは、自分は努力を一種のチート技だと思っている節があり、頑張っていることを公表すると、触発された人々もチート技を使い始めて、努力の既得権益が損なわれてしまうという、なんとも矮小なる考え方をしているからである。

※そもそも「努力の既得権益」なんて意味不明な言葉が出てくる時点で自分に努力の才能と、真に努力する者の姿勢が身についていないことが一目瞭然たるものであるが、もうこれも仕方がないことである。このような恥すら認めて、もう裸一貫でブログを書きます。

 

きのう、生活を直そうと思い立って、まず始めたのは自衛隊の一日のスケジュールを参考にすることであった。

ウメハラYouTubeの切り抜きで、「自分にとってキツい時間じゃないと上達に繋がらない」みたいなことを言っていた。それを見て、「ウメハラがァ!(俺の考え方に)近づいてェ!(新しい刺激を与えて、俺の方針を)ウメハラがァ決めたァァァアァァ!!」となったわけである。

で、俺の考えうる、「キツさ」「徹底的な研鑽」のイメージに最も近かったのが自衛隊なのである。だから、さっそく自衛隊のスケジュールにあたってみたのだ。

 

 

曰く(参考:1日のスケジュール| 防府北基地| [JASDF] 航空自衛隊)こんな感じ。

06:00 起床

06:05-06:50 朝食・洗面・身辺整理

06:50-07:00 清掃

07:00-07:35 間稽古

07:35 課業準備

07:50 軍旗掲揚

08:00 朝礼等

08:15 国旗掲揚

08:25-12:05 午前課業

12:05-13:00 昼食

13:00-16:40 午後課業

17:00 国旗降下

17:00-17:45 夕食

17:45-18:45 航友会活動・体力錬成等

18:45-19:40 入浴・身辺整理・命令下達

19:40-21:30 自習

21:30-22:00 就寝準備等

22:00 日夕点呼

22:10 就寝

 

軍旗はいつ下げてるの?毎日上げ続けて大気圏突破目指してるの?とか、間稽古って何?とか、体力錬成ってゲームの技っぽくていいね、とかいらない感想は置いておいて、自分の理想のスケジュールもこの日程を基盤に、制作してみることにした。

具体的なルーチンの詳細については、この生活が半年くらいうまくいったらその時点のものを公開するとして、とりあえず今までの生活と一番変わったことして盛り込んだのが、

朝07:00-08:00 ランニングか筋トレ

という運動の項目であった。

 

スポーツは苦手だったが、筋トレやランニングなどの体を動かす運動は好きなほうだった。

しかしそれももう4,5年以上昔の話(←そんなに昔なのがこわい)であり、そんな男が久しぶりにランニングを唐突に始めた感想文、それがようやっとこの記事の本題である。

 

**

 

つぶれてもいいボロい靴を履き、ランニング用のウェアなんて用意がないから適当な3軍の服を着て、そのくせ一丁前にスマートウォッチだけは腕に巻いている。そんなアンバランスかつダサい格好でも、ランニングは許してくれそうだから好きだ。

ランニング、っていうカッコいい名前だけど、中身を取り出してみれば「走る」だけ。そのシンプルさと懐の深さが大好きだ。

 

そんな格好で玄関の外へでて、二、三、ぴょんぴょん飛んでから走り出す。3Dマリオかなんかにそういうダッシュの仕方あったような気がする。

 

走り出しながら、星野源の「時よ」を流す。イヤホンから天才的なイントロが流れる。

 

なぜこんな意識の高そうな生活を始めたのかというと、星野源のエッセイの影響である。だから、星野源を聴く必要があったんですね。

 

べつに、星野源がランニングや意識の高い啓蒙をしてきたわけではない。

 

俺は、星野源が「いのちの車窓から」というエッセイ集を出版したとき、彼の初期のエッセイである「そして生活はつづく」との「情けなさの差」に少しだけ寂しさをおぼえてしまったのだ。

「そして生活はつづく」は、まだこんなにも売れ切る直前くらいの星野源が書かれている。そこには情けなくて等身大でそしてちょっとだけ洗練されていないが故に上手な文章が並んでいた。

だが、「いのちの車窓から」では違う。平気で鶴瓶師匠出てくるし、多分新垣結衣と付き合ってる時期だし、なんか全体的にうまくいっている、感じがする。「そして生活はつづく」の仄暗いけど凄く明るくて鈍くさい感じを期待したら、もう一段洗練された感じだった。

それに少しだけ、ほんの少しだけ寂しさを覚えたのだった。

 

で、昨日久しぶりにまた「いのちの車窓から」を読んだ。

不思議と寂しさは感じなかった。どころか、親近感や希望みたいなものまで見出すことすらできて、驚いた。そうだよな、いつまでも情けなくあることが表現じゃないよな、俺らの情けなさを温めてくれるのは、必ずしもそういった文章だけじゃないのかもしれないな。星野源の文章を読みながら、ピンポンのスマイルを思い出していた。

 

 

だから俺もいかなくちゃ、なんて思ったわけなのである。

 

走っている途中は猛烈にきつかった。ランニングなんて久しぶりだった。昔はもっと、景色が流れる速度が速かった気がするのに、今は想像よりもっともったりしている。新幹線と電車くらいの違いだ。

走るフォームや、効果的なペース配分の方法などは一切知らなかったし、考える余裕もなかった。だからルールは一つだけ、「絶対に立ち止まらないこと」それだけだった。

 

「化物」が流れてきた。「SUN」が流れてきた。「夢の外へ」「恋」「不思議」・・・。

 

その間一度も立ち止まら――立ち止まれなかった。俺は頑固だから、というか妙なところで偏屈だから、もう止まれなかったのだ。

 

途中でゲボ吐きそうになったし、何も考えず走っていたので、ふと気づくと知らないタクシー会社の駐車場に突っ込みそうになっていた。

一旦引き返そうとすると、雨が降ってきた。タイミングも距離もいいし、そろそろ帰ろうと踵を返した。

 

もう30分は走った気がしたが、時計を見るとたったの10分程度しか走っていなかった。

 

 

 

雨が強くなる前に無事家に帰宅した。サウナよりも激しく汗が噴き出てくる。

とても気持ちがいいが、これは「久しぶりだから」なのだろうと思った。

明日からずっとこれを続けるのか?と不安になるが、そうならないための楔を立てたいなと思ってこれを書いている。

 

やるしかない。時間がないので今日はこの辺で筆を置く。

 

 

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