死とか殺とかいう言葉を使わずにこの懊悩を言い表さなければいけない。そうでないと俺の何かが腐り落ち瘦せ細る。当ブログを読み返したときに、陳列される記事の放つ雰囲気の、なんと似通っていること。一人の朽ちた物書きを名乗るうえで、その手数の少なさにほとほとため息が出そうになる。ので、今日の記事は、この悶々とした自分の感情を整理・破壊するうえで、後ろ向きに強い言葉を使わずにそれを成し遂げてみせようと思う。
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たとえばですけど、ブログ書いている男って絶望的に魅力ないと思うんです。
でもこの「ブログ(文章)を書く」って行為って、もう「趣味」とかのレベルじゃなくて、それこそ「生きる」ことの一部になってるから、辞めたら最後、一生合わない枕と合わない椅子で暮らし続けるみたいな具合の悪さを覚悟しないといけない。
そういうのありませんか。いやわかってて、多分ブログを書くって行為から離れて暮らしても、なんだかんだ生きていくとは思うし、場合によっちゃいまよりも遥かにバラ色でほの温かい生活を獲得するに至るのかもしれないってことは、なんとなくわかってて。でも、辞めると自分の背骨が自分のものじゃなくなるような感覚を覚えるルーティンだったり趣味だったり職業だったりするもの、誰にでも一つは備わっているんじゃないかと思う。
僕の場合それがこれ。
嫌なことがあった日は瀉血をするように文章を書く。自然とここ一年のブログはなんだか暗い雰囲気を醸し出しているが、嫌な気持ちを間接的に再解釈して解毒を行っているのだから仕方ない。
当ブログのタイトルは「言いたいこと以外言わないソレ」だが、これらは果たして本当に「俺が言いたいこと」なのか?、と、思わないでもないような日々である。
本当は前向きで明るい文章を書いていきたい、なんてこのブログのどこかで前も言った気がするが、前向きで明るい気持ちの時は、文章なんて必要としない。嫌なことが起きてキャパを超えかけ、毒が体を、苦痛が精神を蝕み尽くしかけたそのとき、それでも前向きになりたいと祈りを込めて唱える最後の呪文が僕にとっての『文章』だから。
もちろんうれしいことがあった時、それを文章にするのもいいんだけど、なんだか出来上がるものの衝撃波が違う気がする。世界一まずいものの味と、世界一おいしいものの味、どっちが鮮烈な印象を与えると思う? 前者でしょ多分。
いや、それでも前向きに生きていきたいし、このブログが「もう三年も更新されてないよ」なんて見た人が思うくらいになってしまってもいいのかなって、そう考えてるよ。後ろ向きの文章なんて、崖の端っこにいるときに必要なものじゃない。二つの意味で痛すぎる正論なんだけどそう思う。自暴自棄で投げうつ「自」がないのに、堕落的に生活するのはあまりにも虫が良すぎる話だ、「自」を確立して一生懸命生きてそれでも何かに阻まれて堕落したくなるのはわかるけど、それすらないのに暴れるのは、本当に甘えだよ、せめてクツ履いて崖から走って離れてくれよ。
抽象的な話ばっかりするから読み返してもこのブログはおんなじ味しかしないね。
じゃあ次の記事では具体的な話でもしてみようかな。今度鬱々として文章を書くときの、ささやかなる目標ができたから、まずはそこまでは歩ける気がしてる。
ゴミまみれの汚い6畳から愛を込めて。
アンチグラビティ・ガール聴きながら文章書いてるけど、救われたくて眼球の奥の奥の奥のほうが泣きそうになってきた。
ミッシェルガンエレファント聴きながら、ハチワンダイバーの右角よろしく、獣人みたいに疾走感満載で部屋の片づけしようかな。
あ、そうそうハチワンダイバーって漫画が面白かった。342話までは実質無料で読めたから、そこまで貪り尽くすみたいに読んじゃった。名言と情熱と下品さと、将棋と将棋と将棋と狂気と努力と執念と暴力と将棋と、ビッグバンの加速度をもった最強の漫画だった。
将棋漫画が結構好きで、そこそこいろいろ読んできたんだけど、ちょっと異質すぎて、いきなりトップに踊り出ちゃったな、ハチワンダイバー。
ミッシェルガンエレファントを聞いているときだけは、人格が豹変して、右四間飛車という超攻撃的な将棋を指す、右角。凛というアサシン見習いの女性にずっと熱烈片思いを続け、たとえどんなに断固として拒否されても、真っ向からプロポーズを繰り返し続けるそのストレートさがロックンロールで気持ち良い。
このセリフが良い。強くありたいよな!男として…って、忘れかけてた何かを思い出させてくれる。
ハチワンダイバー、男も女もたくましくて強すぎて真っすぐすぎるから、本当にエネルギーを無責任にこっちに与えてくる漫画だなと思う次第だ。
追記じみたハチワンダイバーの感想文で、中途半端にこの記事は幕切れを迎える。仮眠とって朝まで部屋の片付けする。
じゃ。