言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

頼まれたもの納品1

 

キーンコーン、カーンコーン。

 

「起立、気をつけ」

春、桜、クリーニングしたての制服。4月の穏やかな気温と、新学期独特の高揚感。

「着席」

すこしだけ上ずった号令役の声。バラバラに起立し、みなバラバラに着席する。

新しい顔ぶれに、まだみな戸惑いを隠せないのだろうか。

 

「それでは、まず自己紹介から始めましょう。」

新任教師は柔和な声でそう呼びかけた。春爛漫とした窓からの景色に溶けていくような声だった。

 

そんな彼の足元には、まだ名前も知らなかった男子生徒の、首から上がない状態が、横たわっている。

 

春、桜、クリーニングしたての制服、それとデスゲーム。僕らの2年4組は、ここから始まった。

 

 

***

 

 

「まずは自己紹介から始めましょう。」

ニコニコしている新任教師。

 

 

 

先程の始業式で、男は蜆崎と名乗っていた。担当科目は数学。出身がこの高校らしいこと、あとは娘が1人いること、僕たちが知りうるこの男の情報はたったそれだけだ。

 

彼の冴えない話し方といかにも理系という風貌から、イケメン教師の担当を期待していた女子たちは音速で落胆し、女性教師の担当を期待していた僕たち男子は光速で落胆した。

 

浮足立ってざわつく僕らを特に注意することもなく、蜆崎は体育館から教室に僕たちを先導した。みなひそかに、「今年はアタリ」と思ったとおもう。口うるさく注意することもなく、ただ口の端に笑みを浮かべているだけ。間違いなくユルい一年になるだろうと確信に近い予感を抱いていたのだ。

 

違和感をおぼえはじめたのは、三年の教室がある四階に到着してからのことだった。蜆崎は、配電盤を見つけるごとに立ち止まり、生徒に先を行かせ、中をあけて覗き込んで、また生徒の先頭に合流する。

僕たちはこの奇行に吹き出さずにはいられなくて、くすくすと笑い声があちこちで漏れ出ていた。クラスの陽気なやつ――あれは元2組の中西だっけか――なんかは「蜆崎センセ、キューに機械いじりすんなってぇ」と茶化していた。

蜆崎は不気味なほどに何も言わず、ここでもやっぱりただニコニコしているだけだった。

 

教室に到着すると、まず蜆崎は窓とドアを完全に閉めさせた。「声が隣の教室に聞こえるとよくないですからね」だとか言っていた。

みんな、「ちょっと騒ぎすぎたな」「これから説教が始まるのか?」「だから閉めさせたのか」とか少しだけ不安になって、徐々に話し声はなくなっていった。

 

 

「さて。始業式のあいさつでもあったとおり、しばらくこのクラスの担任を務めさせていただくことになった『蜆崎』と申します。担当教科は数学を担当します」

蜆崎の声は機械みたいに平坦なトーンで、陶器みたいにまっ平らなボリュームだった。

「先生は、みんなに大切なことを教えるために先生になりました。それは大人になってからは決して学べず、そして子どものうちには真に理解することが叶わない大切なことなのです」

何だ何だ、人生哲学みたいなものを語りだしたぞ、と去年からの知り合いとか、数名は顔を見合わせていた。女子の何人かはまたクスクスと堪えきれず笑い声を漏らしていた。

 

「みなさんは遥かに未熟です、自分が思うよりも遥かに未熟です」

去年同じクラスだった瀬尾が、前の席から僕の方を振り返って「なにこれ」と小声で言ってくる。「しらない」と僕は答えた。クラス内が三々五々そんなかんじだった。

 

「でもそれは決して恥ずべきことではありません。生まれながらにして成熟している人間などいないのですから。そもそも、満ち足りて生まれることは、逆説的に欠落の一つだと先生は思っていますし」

新任の挨拶からかましてんな、と誰もが思っていただろう。こんな、自己啓発セミナーで百万遍と擦られたような話に揺さぶられるほど僕はがきじゃない。

みんなすでにこの蜆崎という男への興味を失っていた。窓の外を眺めたり、隣近所と小声でおしゃべりをしたりしている。

 

「では問題は、その未熟さを棚に上げ続ける行為なのですね。自身の未熟さを顧みないことは、本当の過ちなのだと思います。孔子が言うようにね」

最後列の席で、不良で有名な――名前は知らないけど――男子生徒がとうとうイヤホンで音楽を聞き始めた。おそらく爆音で、ちょうど教室の真ん中に座っている僕の耳にまで、小さく音漏れが聞こえてきてしまう。みんな彼に気付いてチラチラ振り向いているけど、彼は苛立たしさを鎮めるみたいに目を瞑っている。

 

蜆崎はそこで、急に話すのをやめた。視線の先はその男子生徒にある。「流石にそれはヤバイって」と隣の席の女の子が肩を叩くも、彼はちょっと眉間にシワを寄せるだけで応えようともしなかった。

蜆崎はちょっと困った顔をして、ゆっくりと教室の後ろのほうへと歩いていった。

 

みんな、完全に静まり返っている。耳鳴りみたいな静寂が教室を満たしていた。

「みなさん、丁度いい例題ですね」

蜆崎の革靴の足音と、言葉だけがひんやりと教室の中に響いている。ヤバイ、長い長い説教が始まる、面倒くさいタイプだ、と、皆危惧していた。瀬尾は「このあと彼女とイオン行く予定あんだけど!」と小声で言ってくる。知らないってば、こっちが怒られるからだまってくれ、と僕は思った。

 

「未熟さというものが、棚の奥のチーズみたいに腐るとこうなってしまうのですね」

相変わらずうざったい文章で不良生徒のもとへと歩いていく蜆崎。しかし当の本人は相変わらず気づかないままだ。

 

「では、失礼して」

蜆崎は彼のイヤホンを耳から引っこ抜いて、遠くに放り投げた。

「は?」

彼は苛立ちをあらわにして蜆崎を睨めつけた。流行りのJ-POPがシャカシャカ遠くでなっている。

「あなたは私のHR中に、私の話を聞かずイヤホンで音楽をきいていましたね」

「オイ、人のイヤホン投げんなよ」

「まあ私の話に好き嫌いがあるのは承知していますし、多少注意力が散漫になってしまうのは認めますが」

「マジで話聞けや」

「絶対に気付いているのに、無視し続ける理由とはなんでしょうか?」

「オイ」

「それが答えでよろしいですかね」

「マジでふざっけんなよ」

ヒートアップしていく彼の熱量とは対照的に、蜆崎は教科書の問題文みたいに冷静だった。そんな態度は余計に彼の怒りを助長させていた。皆ハラハラしながらことの成り行きを見守ることしかできなかった。

 

「不正解ですね」

「うっせぇな、ホントっ」

 

彼が拳を振り上げて飛びかかろうとした、次の瞬間、彼の首を境に、彼は二つに分断されていた。どういう手品を使ったのか、音もなく。

「これが例題ですね」

 

しんとしていた教室は、どくどくと溢れ出る鮮血と赤黒い血が水たまりをつくったころに、突如として阿鼻叫喚の様相を見せた。

 

「ヤバイって!」「オイオイオイ」「嫌…」

 

皆パニックになり、一目散にドアになだれ込んだ。が、開かない。

「オイ!ドア早く開けろ!」「開かないんだって!」「開かないわけないだろ!」

 

「開かないですよ」

蜆崎が騒然とするみんなをこの一言で静まらせた。説得力のある重々しさを孕んだ声色だった。

「それでは席につきましょうか」

蜆崎は、名前もまだ知らない不良生徒の身体を引き摺って、教卓に戻っていた。

 

皆、もうおとなしく言うことを聞き入れるしかなかった。

瀬尾もそうだし、みんなの顔は青ざめていた。涙目になっている人もいた。

 

「号令係、新年最初の号令をお願いします」

号令係の今下さん――去年同じクラスの委員長だった――は、わなわなと口の端を震えさせながら、号令をはじめた。

 

「起立、気をつけ」

春、桜、クリーニングしたての制服。4月の穏やかな気温と、開かないドアと鉄分の臭い。

「着席」

すこしだけ上ずった号令役の声。バラバラに起立し、みなバラバラに着席する。膝が震えて立ち上がるのに苦労する人、立ち上がってもうまく動けず地面にへたりこんでしまう人。

 

「それでは、まず自己紹介から始めましょう。」

蜆崎はそう言って、黒板に「1時間目 自己紹介」とチョークで書いていった。

 

「皆さんにこれから自己紹介をしていただきます。一人ずつ、出席番号順に」

そして蜆崎は、黒板にこう続けて書いた。

「ルール①について述べましょう。まず、これから一人、発言できる秒数は180秒以内とします。」

ルール①:発言時間は180秒

 

「そして最低でも一人、この中から生徒をみんなで決めて殺してもらいます。なぜなら、嘘つきがこの中にいるからです」

ルール②:この中から一人は殺さなければいけない

 

どよめくみんなを他所に、蜆崎は鋭い鎌みたいなものを教卓に置いた。

「殺害はこの鎌で行ってください…。もちろん、二つのルールのいずれかでも破った悪い生徒は、『不正解』とみなされます。」

 

「では、相生さんから。自己紹介をお願いします」

 

僕らの長いホームルームが、たったいま不吉な幕開けで始まった。