言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

今月のツイートに補足と解説を入れていく【2023年2月】

ハロー、汚すぎる部屋からこんばんは。

 

今月もやってみる。別にシリーズ化するかどうかはわからないけれど、月に一度くらいはこうやってアウトプットしなきゃ、体のどこかに毒が蓄積されていくような気持ち悪さが残るというものだ。

 

 

 

二月は概ね忙しかった。

いや、多分自分なんかよりも忙しいけど、不平不満言わず頑張っている人がたくさんいるのは分かっているけれど、こんなこと言わないと自分のキャパの表面張力を保てないくらいには、自分にとっては忙しさをいっぱいに感じていたのである。

 

無駄なく動いていたわけではない。もっとその時間があれば、そのタスクすぐ片付いただろ、っていうような無駄だらけだったけど、その無駄すら削ぎ落されていたら、多分どこかで何かが爆発していたように思える。

社会人ってすごいななんて思いながら暮らしていた。大人になりたくないと思った。

 

小学生の頃の夢はパソコンを使って仕事する、いわゆるプログラマ系統の仕事に就くことだった。今就活を進めていく中で、そちらのほうに足を進めつつある自分。

大人になることがこんなに鰓呼吸できない魚みたいなものだとは思わなかった。

 

 

 

 

ほうぼうで話されていることだが、インターネットはもはや第二の世界ではなく、全くもって完全な現実世界の延長になってしまった。

インターネット黎明期からこのゼロイチの世界に生きてきたわけではない。ちょうど過渡期みたいな時期に、自分はインターネットにどっぷりつかり始めた訳だが、それでも感じるこのインターネットの「変わってしまったのでは?」感。

 

インターネットが現実世界と(現在よりは遥かに)別世界で存在していたころは、今より色数は少ないけど、もうちょい自由にやれてたんじゃないかって。

 

元ツイの話とは結構ズレるんだけど、TikTokやYouTubeShortsの誕生で自分が最も虫唾が走るのは、価値観と感受性の画一化だ。

同じ音楽、同じダンス、同じような顔面で同じような展開に乗せて同じような言葉を吐き、みな同じように高評価を押し、見なくてもどのようなコメントが書いてあるかすら予測できてしまう同じようなオーディエンス。これが是とされるの何? みんな思い出してよ、TikTokが出始めたころ、「曲の著作権侵害してるだろ」って言ってたみんなはどこ行っちゃったの? ねぇ、誰かの企画を「💡!」みたいな顔して「検証」とか名前つけて丸パクリするTikTokerに「〇〇の許可とった?」ってコメントつけるカスの警邏はどこに行ったの?

 

実際そこまで怒ってないし憤る権利もないんだけど、TikTok出現前後で、感受性や価値観が「同質であることが是」とされつつあるのは確かかもしれない。嫌!

 

 

 

ぼっち・ざ・ろっく。

昨年12月、クリスマスの2日前くらいから見始め、発狂し、最終回の星座になれたらで泣き、エンディングで泣き、虚脱感に全身をタコ殴りにされながら、友人のカップル成立を祝うために焼肉を奢りに行くために家の外へと出ていった。レモンサワー飲み放題だったので、びっくりするくらい飲んで、びっくりするくらい吐いた。仕方ないと思う。

 

そんなエモい(?)思い出とともにぼっちざろっく。今もまだハマっている。伊地知虹夏の概念コーデ作るくらいには。

 

本当にいいアニメだし、本当に昔キモ・オタクだったころの感情を全面的に思い出させてくれた。やめてほしい。

 

本当に近年稀にみる楽曲の良さだった。楽曲そのものの良さもそうだし、その見せ方もよかった。あの冬、確かに俺達は夏の秀華祭にいて、結束バンドの音楽を聴いていたのだ。そう記憶に刻み込まれてしまうようなほどの鮮やかな見せ方。

 

もうほんと覇権だよ。アザス。

 

 

 

 

しゃろうの作る曲が好きだ。もはやBGMの域を超えたところで好きだ。

 

でも、しゃろうの曲があらゆるショート動画で使われすぎているので、陳腐化が進みすぎているのが難点である。

俺の死のエンディングが陳腐化されつつある名曲で送られたら、俺はどんな顔して死んどけばいいのだろうか?

 

悪いことではなさそうだが、「TRUE END」の文字はエンディング後に表示されなさそうである。せいぜいグッドエンドがいいところだと思う。

本来、しゃろうの曲はトゥルーエンドであってもいいのに、大衆のせいでグッドエンドにされちゃったのだ。

 

瑛人の香水もそうかも。曲が出始めた当時は、あの純朴さと一音一音がはらむ寂寥に、みないい曲だなって思ってたはずなのに、ドルチェ&ガッバーナの部分が切り抜かれて再編されて拡散されすぎたせいで、「香水」は「香水」のまま陳腐化していった。

 

かなしいね。

 

 

 

 

 

二日連続で、なんか有名なアイドルだとかアーティストだとかになる夢を見る。起きたら必ず汗だくになっている。

 

特に27日のほうは、凄い質感だった。本当に初夏の新宿に来たような気がしたのだ。新宿なんて二回くらいしか行ったことないのに。

なぜかありありと、夏の大好きな夕風が全身を吹き抜けたような感覚が、起きてからもしばらくは皮膚に残っていた。今、二月だ。

 

夢占いなんてあまり信じないが、象徴的な夢を見たり、なんかぎくりとする夢を見たとき、必ずチェックしてしまう。それによれば、「アイドルになる夢は自己顕示欲の大きさ」、「知らない人と仲良くなる夢は自分の知らなかった一面を知る」ことを表すらしい。なんか思い当たると言われれば思い当たるが…という、典型的バーナム効果の落とし穴にハメられそうな状態である。

 

でもなれるならSMAPになりたい。AAAとSuperorganismの合いの子みたいなアーティストになりたい(夢ではそうだった)。

痩せたいし、努力したいし、部屋片付けたいし、モテたいし、頭よくなりたいし、有名になりたいし。

 

膨大な量のエゴが脳みその隅っこから巨大風船みたいに膨らんできて、頭蓋の中がパンパンになりはじめているのかもしれない。だから夢を見る。視覚にアウトプットして、不定形を少しでも形にして、少しでも楽になれるように。

 

夢は覚めてから思い出そうとすればするほど、「こうだったんじゃないか?」という記憶の改変が入りすぎて、細かな質感がボロボロと崩れ落ちていってしまう。悲しすぎるので、切なすぎるので、今日はもう思い返すのをやめる。メンバーの一員だった韓国人のなんとか君、二次元みたいなビジュの良さで、不器用な日本語が可愛かった。ああありたいからまず痩せて、部屋片付ける。

 

 

あーあ、夢でいいなら夢にいたいし、インターネットでいいなら、インターネットにいたい。