言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

出力形式が一次元形式なのが悪い

夥しい量の思考しなければならない事柄が、しんしんと降り積もる牡丹雪みたいに堆積し、もはやどうやっても削り取れない砿石みたいになっちゃった。

 

比喩を使うほどに事実(みたいなもの)から遠ざかっていくのはとても悲しいことだ。でも喩えることでしか、すごく曖昧模糊なこの胸中を限られた文の形に出力・格納することができない。全ての物事にはぴったり完璧な文章量というものがあり、それを一文字でも超えたら、あるいは一文字でも足りなかったら、そこに解釈の隙間みたいなものが生まれて、おじゃんになるのだが、当然これを完遂するのは難しい。

今冒頭に書いた文章は、てんで駄目だ。多分12文字足りないか、26文字多い。

 

この文章のように、最近の自分は軸がブレている。というか、無いに等しい。どれくらいブレているかと言えば、「この文章のように、最近の―」の後に続く一人称が、「僕」なのか「俺」なのか迷っちゃうくらいだ。

最近の自分は多重生活の極みを送っている。数か月前にもブログで「自分は二重生活を――」みたいなことを書いた気もするが、それよりもっと事態が深刻化している気もする。

今の自分、こんな感じ。

・教育実習生の「学校の先生」

・個別指導塾アルバイトの「塾の講師」

・イベント会社の「バイトのスタッフさん」

・来年からの就職の「プログラマ見習い」

・数学科の「大学生」

・そしてどうしようもなくぐうたらな「引きこもり体質の人間」

これを一日の中で同時並行的に、そして分量を落とさず(正確に言えば、分量を乗せた掌から、心ならずそれらを零れ落しながら)繰り返しているうちに、自分の所在がわからなくなった。

 

知っている。

多重生活だなんだ言っておきながら、俺は列挙したいから列挙しているにすぎず、俺はただの俺で、好きなようにしたらよくて、これは単なる浅瀬仇波でしかないことは、一個目の「・」を打った時点で自覚しておいたことなのだ。

 

絡まったイヤホンのコードを前に呆然と立ち尽くしているだけの男なのだ、俺は。

イヤホンのコードをほどく最適解を探しているが、「イヤホンのコードをほどく最適解を探すこと」は今の最適解でないのだった。「イヤホンのコードをほどく最適解」を使えるのは、既に知っている者だけで、それを求めることは現時点において愚策でしかない。

 

 

庸中佼佼という言葉を最近知った。小学生のころから信じていた「天才」の位置は、凡夫の俺にとって「庸中佼佼」くらいの位置なのかもしれないなんて思ってしまった。

 

四字熟語、というか熟語は罪だ。今までの不明瞭で曖昧なX文字(Xは自然数)の感情をたったの数文字に、余計で大切な部分を削ぎ落して埋め込んでしまう。

 

削ぎ落された感情や思考の肉片がぐじゅぐじゅいいながら、互いににじり寄って肉塊を形成し、勝手に削ぎ落して文章にした俺への強烈な怨みと言わんばかりに、脳味噌のいたるところを食い破っている。

当然そんなクリーチャーは医学的には存在しないが、確実に何らかの空間に存在していて、俺の脳味噌を実際的に食い千切り、医学的には存在しないどこかの空間で、俺は本当に地獄みたいな痛みを感じているに違いない。

 

そして、地球の裏側で起こった地震が、爆撃が、減衰振動の終着点としてここに波及してくるように、俺は今、本当に、ダメだ。