言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

テーマが欲しいけどテーマ要りません

 ツイートを書くようにブログを書きたいと常々思っている。

 

 ツイートを書くようにブログを書く、というのは「ツイートを書くくらい気軽に」そして「一つのツイートのように端的で必要最小限な」記事を書きたい、という風に説明できる。

 でも、気軽に書くという行為が、果たして自分の本望なのかもわからない。文章を書くことの自分にとってのほんとうの意味が定まっていないのである。

仮説として『自分が生きている証を残していきたいから』とかがあるけれど、どうもしっくりこない。

『何かを生み出している気になれるから』との仮説もある。しかしこれを認めては、いささか循環参照的で、明解な説明を与えたとは言い難い気がする。

 

 伝えたいテーマも、使いたい言葉も、引き出しの中にたっぷり湛えられた語彙もないままにキーボードの打鍵を始めれば、必然このように酩酊した文章群が生成される。

今こうして文字を一文字一文字、丹念に殴りつけている間も、胸中の靄のようなものは一向に晴れない。雲海は頂上から眺めればさぞ荘厳で爽快な景色であるが、その中にいる自分にとっては、幻惑と蒙昧を与えるだけの不快極まりない現象だ。

少しずつ肩が温まってきたような気がする。テーマなどなくても文章程度書けるのだ。…と豪語するほどには何も晴れていない。もう朝の4時だし、体調はすぐれないし、部屋の片付けは終わっていないし。インターネットに無駄な、糸くずみたいな文字列を放流して、呆けて、水に浸していた指の皺が深くなっていく。

 

 自分が住んでいる1Kのマンション。そのKのほうから、洗濯機の騒々しい音がする。こんな深夜に洗濯機を回すべきでないことは分かっているが、これ以上、パンツの一枚でも洗い物を貯めこんだ瞬間、俺の生活は機能不全に陥る気がしている。過冷却という現象があるが、それみたいな感じ。あ、あれでもいい。ピタゴラスカップみたいなイメージでもいい。

 とにかく、非対称性を持った限界生活を送っている。

 床やテーブルの上に広がる、口の開いたペットボトルの数が、肉眼で目視できる星の数にもはや匹敵しそうで、眩暈がしてしまう。

化物以上人間以下。未満ではなく、以下。その範囲の中を、単位円上を動く関数みたいに、半端な周期をもって振動している。「気がする」わけでなく、明確に臭いデスクチェアのメッシュの座面が心底憎い。

 

 テーマの話に戻る。

 テーマを持って文章を書けば、文章に立派な『役割』が生じるが、文章に役割意識や責任感を付与する程自分は健脚じゃない。だから責任逃れみたいな文章をここ数年書いているが、本当にそれは只の足踏みに過ぎなくて悲しい。

そうこうしている内に、ものを明らかに詰め込み過ぎた洗濯機が、脱水の過程で生じる遠心力に耐え切れず大幅に移動してしまっていた。あまりにもけたたましい音がしたもんだから、何があったのかと思ったら、想像以上に怖いことが起きていてぞっとする。

 

 自分の現状がこの洗濯機に投影されるほどダイナミックなものでないことにすらため息が出る。何かのメタファーにもならない、陶磁器みたいな表面の生活に意味があるのか。ええ、あるのですか。ないのですか。

 

 何も見なかったことにして、洗濯機を一度止めて、全く何の処置も施さずに再度洗濯機を起動した。多分あと20分後くらいに同じ事故に悩まされるんだけど、もう気にしない。そういう生活だから、非常に気が滅入る。肉体も朽ちて、精神も腐る、ヤダ。

 

 冒頭の文を少し読み返した。てかもうツイートじゃなくてポストじゃんってことに気付いた。きっと死ぬまでツイートって呼ぶ。ポストって呼び始めてからが人間のはじまりなのだとすれば、ツイートって呼んでる間はどうしても人間に到達することができない。ポストって呼ぶだけで人間に戻れて恋愛もできて仕事もできるようになるんだけど、どうしても手が届かないみたいにツイートって呼んで、それを笑われて生きていく気がしている。

 うがい薬が欲しい。