言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

汚い文章(汚い)

 久しぶりに、というか本当に数年単位ぶりに一次創作の活動をしようかなと思い、筆を取った。が、何も書けなかった。正確に言えば書けたが、竜頭蛇尾というか、最初のイントロだけ音が鳴り、あとは小さな鳴き声しかしない謎のオーケストラのような文章が出来上がったので、悲しくなってタブごと削除した。

 思えば書きたいことが無く、書こうとして引いたレールも無かった。

 

 パブロンをにんにく醤油に漬け込むという奇行に及んで爆速で就寝し、昼過ぎに起床した。まさかパブロンが醤油に溶けるとは予想だにしていなくて、寝ぼけまなこで台所を見ると鳥の軟便みたいな黄色茶色いドロドロがあって最悪の気分だった。

 さっきティッシュとかで処理してきたんだけど、あまりにも軟便が過ぎて気分が悪い。うんこ味のカレーとカレー味のうんこ理論に最も近い物体を目撃してしまった気分である。

 うんこについてならこんなに流動的に文章が流れ出てくるのに、いざ創作となってしまうと別の脳味噌の器官を要するから頗る時間がかかるのだ。おそらく、俺にとって創作活動と文章執筆は意味合いがかなり違うからなんだと思う。

 

 俺が文章を書くのは自分の中に堆積した泥濘みたいなものを昇華するためであり、俺が創作するのは俺という肉体では表現できないことを創作の形に寓するためである(と今日の俺は考えているが、明日の俺は多分全力で反駁すると思う)。

 俺自身から生み出したクソをバラスト水みたいに放出するのが文章であるから、創作に文章という媒体を用いるのは俺にとって少し矛盾を含む行為なのである。それこそ、バラスト水が含んでいた日本のワカメやキヒトデが、向かった先の海洋を荒らしつくしてしまったように、文章執筆という手段の船が含む俺くささという不純物が、創作によってもたらされた作品世界を濁らせてしまうのである。

 俺というガワと、俺の言いたいことのバランスというか、関係性について、もう少しきちんと向き合っていく必要があると強く感じている。

 

 俺の心を曇らせている一つの要因、引っ越し作業を進めていく必要性を灼熱のようにじりじり感じながら、文章を書いている。文章を書く場合じゃないときにこそ、文章を書くことは甘美なものになる。