言いたいこと以外言わないソレ

言いたいこと以外のことを言わない文章の集まりです。

22歳初めて書く文章

 ブルーライトで焼け爛れた眼で、ディスプレイを見つめている。22歳最初の徹夜は、22歳になってからわずか1日経たずに行われてしまった。

 

 いきものがかりの名盤「NEWTRAL」を聴いている。これは記憶によれば、自分が人生で初めて意識的に手に入れた「音楽のアルバム」だった。今でもあのジャケット(初回限定盤)のマットな手触りと、歌詞カードの新品のインクのにおいを憶えている。

 

 ちょっと小学校の頃のことなんてあんまり思い出したくないが(厚顔無恥で浅慮で愚鈍で、それでいて自分に無制限の自信を持っていた恥のペンキ塗りたてみたいな時期だったから)、でも曲を聴くと必然的に当時の記憶ごと掘り起こされてくる。自分のルーツみたいなものが。

 さっきこんなツイートをしたけど、マジでこういう小学生だったから、ちょっと目も当てられない。中二病かつ論破厨の先駆けかつインターネットボーイだったから、マジで嫌だな。

 あのまま育ったら、チーズ牛丼特盛温玉付きって言いかねない温度感に成長する――雰囲気の小学生だった、と思ってる、俺は自分のこと。ニコニコ動画を無限に巡回する傍らでいきものがかりを聴く小学生って、凄い世界が、湾曲してる感じがする。一貫してないよな。ニコニコ動画を見あさる小学生も、いきものがかりを聴きあさる小学生も、双方ステレオタイプとしては想像に容易いのに、合成させると急に意味わからない。

 

 なんというか、自分にも他人にも無頓着なくせに、自分を何か他の事象や将来像みたいなものに投影したり没入することにご執心で、そういった意味で世界との乖離を測定できていない無知なガキだったんだな、と思う。

 

 それがあって今の俺がある、という結論はまあそりゃそうですと首肯せざるを得ないんだけど、でも俺はもう少し大人で平均的でありたかったなって、たまに思ったりもする。

 

 覚えていますか、小5・6の頃の担任。かなり最近まで、俺はあなたが言った「普通」という言葉の意味に悩乱したりする夜があったよ。凄い難しいね普通って。

 小学生のころはかなりクラスが荒れていて、割と惨状っていう他ないくらいだった。具体的に起きていた騒動みたいなのは別にまとめる気がないから、凄く端的に言えば、おそらくあの学年を経験した同級生の中で、小学校教師を志す人間は一人もいなくなっちゃったんじゃないかな、ってくらいの状態だった。(多分みんな同意してくれると思う。)性善説を唱えていた孟子も真っ青になるくらい、本当に終わっていた。

 だから担任の先生も言葉を選ぶ余裕なんて無かったんだと思うけど、このころ「普通」という言葉を彼女に与えられてから、俺が反発と撞着を繰り返す羽目になっちゃった。

 

 

 そう、そんで最近一旦の仮説みたいなものがやっと出来上がった、だから今この話をしている。12歳から22歳まで、10年の年月を経てやっと、折り合いがつきそうな気がしてる。

 

 普通性の担保は、畢竟手前でやるしかないんだ。って。アイデンティティは誰も保証してくれないし、主観が自分にしか備わっていない機能なら、180度割り切って、この世のどこかに存在する「コモンセンス的な普通性」を「普通性なんてものはハナから存在しないので、自身が適宜、自己都合で普通性とかいうものを定義して、その勝手な普通性をなぞる・あるいは逸脱することで自身を充足させることができる」という主観の特権みたいなものとして捉えなおしていいんじゃないか、と。

 今の段階でこんな風に思っているっていう記録を残しておきたい。いきものがかりを発端に呼び起された苦い記憶になんとか折り合いをつけている。

 

 22歳になってこんな恥ずかしい文章をインターネットに放流している。この点において俺は、10年前から全く成長していない。10年後自分の文章を読んで目を逸らしたくなるんだと思うが、マジでザマミロと思う。ザマミロ未来の俺。

 

 厚顔無恥で浅慮で愚鈍で、それでいて自分に無制限の自信を持っていた恥のペンキ塗りたてみたいな時期、は小学生で終わったと思っていたが、どうやらそうではなかった。ここまで10年ずっと続いてきたんだな。そして、あとまだしばらく続くし、そうやって生きていくしかないんだなと思う。

 このブログを閉鎖しなくてもよいくらい、良い文章を書いて上書きしていきたい。あるいは、マジで無視を決め込むしかない。俺はすでに、このブログにいくつか恥ずかしくて読めない記事が、あったりするから。

 

 今年――22歳の目標は特に、無いけど、楽しく生きていきたいし、毎日一歩でも進んでいくか、あるいは意味のある足踏みをして生きていきたいと思っている。